2003-10-01から1ヶ月間の記事一覧

小説は無駄遣い

小説は一のことを語るために十の言葉を費やす。短歌は十のことを語るのに一の言葉で代える。小説は言葉を湯水のように無駄遣いすることでドライブ感を生み出すのだし、短歌は言葉を極端に切り詰めることで、逆にパノラマ島みたいなありえない広がりを錯覚さ…

短歌日記/短歌はマイナー

短歌にはきわめて限られた機能しかないと思う。短歌にやれること、やってやれなくないことはいっぱいあったとしても、短歌でやることにほんとに意味のあること(散文でやったほうが効果的じゃん、ではないこと)はきわめて限られている。それはべつに韻文よ…

短歌日記

小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館)より。 円柱は何れも太く妹をしばしばわれの視界から奪ふ 大西民子洋傘(かうもり)へあつまる夜の雨の音さびしき音を家まではこぶ 世界の陰画の側に立つ。もうひとつの世界解釈、妄想が立ち上がる決定的瞬間の…

藤枝静男「田紳有楽」

根本敬が以前どこかで、好きな小説としてこの作品をあげていたとおもう。講談社文芸文庫で一冊に併録されている「空気頭」は以前読んでいたけどこっちは未読だったので、今回読んでみたら根本敬へのこの作品からの影響はかなり濃いらしいと思った。法螺話の…

短歌日記/連作のアイデア

好みからいうと、一首ごとにいちいち足止めをくらわされて、何度も読み返してつぎの歌に進めないような歌が好きだし正しいと思う。にもかかわらず、複数の歌がならべ置かれたときには連作的な構成の意識がつくり手にも読み手にも必ず生じてしまう、という点…

短歌日記/心霊写真としての短歌

きのう書いたような「現実のもうひとつの解釈としての非現実」をつくりだす短歌というのは、いいかえれば心霊写真のような短歌ということになると思う。心霊写真というのは、たとえば岩の表面の影がたまたま人の顔のように見えたり、肩にのせた手がたまたま…

短歌日記/連作のこと

散文が直線的だとすると、短歌は循環的だという直感がひとまずあるので、各々の歌がリニアな物語の時間を分割してそれぞれ部分的に担当するみたいな連作は、ただの散文の代用品に思える。そうじゃなくて、短歌の時間はそれぞれの歌の内部で循環しているのだ…

短歌日記/非現実のこと

スカートの影のなかなる階段をひそやかな音たてて降りゆく 大滝和子 この歌はなぜいいのか。この歌はめまいがするほど非現実的だ。だがきわめて現実的、写実的でもある。現実の光景としてわかりやすく構成し直せば、スカートをはいた主人公がいて、階段を「…

短歌日記/首をはねろ

短歌はざっくりと切断するところがいいんだと思う。たとえ連作であっても一首ごとに世界の首をはねていくような徹底した切断感のないものはまるで読む気がしない。中途半端に首の皮をつなげることで連作として成り立たせようという考えは貧乏性でせこい。だ…

短歌日記/小説なんて書けるものか

仕事等がちょっとばかり忙しくなると途端に散文が書けなくなる。小説なんてもう全然無理。小説は散文の中でもとくに体力を使うから、ほかのことに体力を使ったあとじゃまるで歯が立たない。書くことそれじたいに使われる体力もそうだけど、書く前の準備段階…

小説ノート

フィリップ・K・ディック『流れよわが涙、と警官は言った』 ディックの小説には妙な浮遊感というか、地に足がつかない感じというか、読んでいる文章のうえを視線が滑っていくような、文章に直接視線がふれていないような、とらえどころのない感覚があると思…

短歌日記

短歌の短さは「なにもつたえない」ことに向いてるんではないのか。正しい意味をつたえる短歌つまり「正解」のある短歌は、正解だけで容量いっぱいになってしまうのではないか。 正しい意味=正解なんてどこにもない、というのではなく、それは短歌の中にはな…