2004-01-01から1年間の記事一覧

意味のないものを書く

説明になっている文章がだめなのは説明には意味があるから。 描写は小説から意味をうばっていくから必要。

内容はいらない

小説を書いていていちばん気をつけなきゃというか肝に銘じなきゃいけないと思うのは「見得を切らない」ということで、つまりうっかり小説の中で「いいこと」を言おうなどと思ってはいけないということだ。 そう気をつけているつもりでもいつのまにか「いいこ…

深沢七郎を考え中

●「東北の神武たち」深沢七郎 とちゅう楢山節孝の書き出しの文章が唐突に出てきたのでわらった。民話みたいなくりかえしくりかえしが多くて(内容も民話的)それが散文らしい反復感、つまり口承的なリズム感とはちょっとちがう、無意味を堆積させていくあの…

短歌日記

雨にぬれた水着を吊るす ぼくらには大西洋へそそがない川

短歌日記

すじをひく星が夜明けのあちこちをコンビナートの寝息のように

さいきんみたビデオ

ここんところ見たビデオの感想をまとめて書こうと思ったけど、北野武『菊次郎の夏』の感想がなんど書こうとしても書けずそういうところにつまずいてまた日記がとまる。『菊次郎の夏』はたけし演じるおじさんがおしゃれすぎると思う。子供がおっさん顔すぎる…

短歌日記

どこかにはまにあう電車つぎもまた季節そのつぎもまた季節

『現代短歌 そのこころみ』つづき

結局『短パラ』『短プロ』に関しては書評的に内容に寄り添って書かれていたので、それらの本がここに取り上げられている意味、みたいなものをあまり強く意識させられなかったようだ。あとこの本の後半は前半のエッセイ的な抑え気味のトーンから徐々に変化し…

読んでいる本

●『現代短歌 そのこころみ』関川夏央 以前ちょっと立ち読みしたとき「晩年の茂吉がもうろくして人の手を食べようとした」というような変な話が淡々と書いてあったので気になってた。淡々として著者があまり首をつっこまずエピソードや客観的事実そのものに語…

短歌日記

セーターにそんな模様が混じるのを指をくわえて見ているばかり

小説の行き先

小説を書くときは地べたに這いつくばって芝目を読むように、その小説がどこへ行こうとしているかをあらかじめ読み取って正しくその方向へむけて、いくども修正をくりかえしながら言葉をつなげていく必要がある。どんな小説を書くのかを選ぶのは書き手の自由…

正岡豊『四月の魚』の十首

これからは読んだ歌集の十首選をのせておくことにした(付箋をつけて歌集を読む習慣をつけるために)。『四月の魚』は近所の図書館にあるのをつい最近まで気づかなかった。俳句の棚にあるんだもの。 きみが首にかけてる赤いホイッスル 誰にもみえない戦争も…

11/9のコメント

>narui_aruhaさん こんにちは。いま上遠野浩平の『冥王と獣のダンス』という小説を読んでいて、私と同年代のこの作家と西尾維新の文章をなんとなく比較しています。上遠野氏の文章は簡潔で無駄がないので読み飛ばす必要もなくすらすら読めるんですが、そこ…

短歌日記

とびちった花びらも濡れた下生えも気にせず進め けど首がない

11/9のコメント

>id:dice_queさん 悩ましいです。おっさんが読んでは申し訳ないような場違い感があるので、世代論にするとますますおっさんとしては身の置き場がなくなるようで、なんか違う落としどころを見つけたいのですが。 キャラクターが人形遊びのように作品世界をゆ…

『クビツリハイスクール』について付け足し

この小説は頭のいい中学生が背伸びして書いたような文章で(たとえば中原昌也は「頭の悪い中学生が背伸びして書いたような文章」であるところに批評性が宿る)、ピントのぼけた映像を威勢よく見せられているような痛さともどかしさがつきまとうのだけど、ピ…

かぼちゃを煮すぎながら

読んだ小説 ●『白バラ四姉妹殺人事件』鹿島田真希 ●「五郎の読み聞かせの会」福永信(『群像』9月号) ●『クビツリハイスクール』西尾維新 南瓜の煮物をつくったら煮すぎてとても不味くなった。南瓜を煮ると必ず煮すぎて不味くなるので、それに懲りてしばら…

短歌日記

ようするに世界は丸く坂道をころがりおちる底を打つまで

遅れてくる意味

『ナチュラル・ウーマン』松浦理英子 読んでいるときや読み終えた直後よりも、しばらくたってから遅れて読後の感情がかたちをとりはじめたらしく、気がつくとこの作品のことを考えていたりふいに涙腺にこみあげてくるものがあったりする。 小説の言葉よりも…

自選五首&蛇足

●鍵穴をくちびるに持つドアとして天国に立つ諦めながら (ありがちなメタファーとして読めそうなのに、わずかにねじれが生じているため読めば読むほど答えにたどりつけない、という歌が好ましいと思う。親しい人の顔を見かけて気軽に声をかけようと思うのだ…

題詠マラソンの百首(短歌日記)

先日完走した題詠マラソン2004への投稿歌100首をまずは一挙掲載します。てきとうに読み飛ばしてその下を読んでください。自選五首と自己解説のようなものを書いてるので。 いま地球空洞説を支持するともれなくひび割れるくすり瓶 多い日も安心してる うた…

比率を変える

比率を変えろよ 変えろよ比率 比率を変えたら 世界が変わる (キャンプファイヤーのとき歌う歌のふしで。) 比率がどうもまずいのではないか、と検討してみる。私がこうして日記に書いているような文章はだいたい六割がた正しくて、四割くらいまちがったこと…

プレーンソング

保坂和志『プレーンソング』読了。劇的なことが何も起きなくても小説にはなる、それどころか何も起きないからこそ小説らしい小説になるのだという考えは、何となくどこかで読んだり聞いたりしたことがある気がするし、自分でもちょくちょく考えたりしていた…

短歌日記

男性の勇気がならぶ背広からとびだすものを腕と呼ぶなら

混沌か?無か?

まだほんの少ししか読んでない『映画の魔』(高橋洋)であるが、恐怖表現への現在の私の関心の持ち方は、かつて高橋氏の作品や文章から大いに影響を受けて培ったときのそれとはだいぶ離れたところにきているような気がする。あるいは、もともとそれほど共感…

見たビデオ

●『カラー・オブ・ライフ[バミリオン・プレジャー・ナイト映画版]』石橋義正 テレビで見てたときは「ひとつのコーナーがちょっと長過ぎ」って思ってたけどやっぱりそうでもないかも。ちょっとだらだらするとこはあっていい。そして「フーコン・ファミリー…

いま読んでたり読み終わってたりする本

●『ヘテロセクシャル』岡崎京子 私は『ヘルタースケルター』が好きで『リバーズ・エッジ』はあまりいいと思わないのだけど、後者が劇的な要素をいくつも投入してってドラマを強引に盛り上げるのに対し、前者は劇的な要素でぱんぱんに膨れた設定を最初から示…

小説を見失う、ことについて

小説を書いているとしだいに「この小説に書いていいこと」と「この小説に書いてはいけないこと」の判断がおぼつかなくなってくる。 すでに小説に書きこんでしまった言葉が、書くべき小説としてはじめにイメージしていたものの輪郭からはみだし始めているのに…

『秋刀魚の味』小津安二郎

画面そのもののフレームのなかに、さらに複雑で立体的なフレームとして日本家屋をはじめとする日本的な視界の悪い生活空間があって、その二重のフレームのなかに俳優たちの奇妙に段取り的なうごきが納められた芝居空間は機械じかけでカタカタうごく長篇人形…

映画の魔

なんと二千円分のニコスのギフトカードがうちにあったので(というか本も買えることに気づいたので)高橋洋『映画の魔』はあっさり買えた。