「下妻物語」中島哲也監督

 ヤンキー高校生役の土屋アンナが回想シーンで中学時代を演じるとほんとうに中学生にしか見えない。深田恭子よりずっと年下なのかと思ってたら二十歳くらいだと知っておどろいた。表情が顔から大きくはみだすような土屋の顔と、表情がつねに顔にのみこまれているような深田の顔が、ヤンキーとロリータという両者の生き方のコントラストの表現をこえて強い印象を残す。土屋はつねに顔から何かの表情を激しくほとばしらせていて、お人形さんみたいな深田の美形(にはあらためて感心したのだが)だけでは、もしかして飽きが来たかもしれない画面にアクティブな刺激を送り込みつづけていた。
 映画かテレビかときかれたらテレビだと思う。みているときの私はかぎりなくテレビ視聴モードに近かった。すでにかなりの映画がテレビ視聴モードで見られていて、近いうちそれが映画館での標準になりかわるだろう。過渡期である現在はスクリーンという植民地で羽目をはずしてにわか芸術家気分に舞い上がってしまうテレビのひともまだ多そうだが、この監督はそういうことはないと信頼できるような気がする。少なくともこの映画は冷静だ。映画館でテレビ的な映像をみるときの気恥ずかしさもかなり抑えられている。映画コンプレックスが感じられないのがいい。