2003-01-01から1年間の記事一覧

短歌日記

作品というのは、入口も出口もない迷路なので、だれも中へ入ったことなどないし、だれも外へ出てきたこともない。われわれはあらかじめ迷路に閉じ込められ、出口を求めて内部をさまよい続けているか、ぜったいにみつからない入口を探し求め、作品の表面をひ…

短歌日記

泳げないとか逆上がりができないとか、そういうことをいちいち非難されないだけでも大人になった甲斐はある。 夏の部屋 溺れる夢をさいごまでみたことがあるひとを訪ねて

いじわるな天使から聞いた不思議な話

今図書館から借りてきて読んでいる本の中に『いじわるな天使から聞いた不思議な話』という穂村弘の本がある。歌集じゃなくて童話風なみじかい話が十五話はいった本なのだが、こんな本が出ているとは今まで知らなかった(94年刊)。穂村氏は歌集のあとがきの…

短歌日記

私としてはソノシートを目にあてて、真っ赤になった部屋の中を見渡すのが好きだったんですけどね。今ソノシートは持ってないんで、子供の時のはなしです。当時はソノシート付きの絵本とか多かったんですよね、あれを目にあてると世界が赤インク一色で印刷さ…

短歌日記

いきなり歌の解説みたいなこと書くのはいけないんですが、時制の混乱て好きなんですよね。ここがいつどこだか分からなくなるようになってる文。それから短歌のことを歌と呼ぶのは慣れようと思ってるんですがぜんぜん慣れないです。ではさようなら、今日もお…

短歌日記

文字のない時計を耳に押しあてて眠れば丘に降るつけ睫毛

ブックオフのお蔭

ブックオフで歌集をよく買う最近。近所のブックオフは歌集棚がわりと充実しててありがたい。歌集はふつうの本屋にほとんど売ってないけどブックオフには充実、というのは歌集が買われてないのにブックオフには売られている(もらった歌集を売る人が多い?)…

短歌日記

最悪のだれかと恋におちたので、そのひとは自分でもびっくりするほど大きな音を立てて、椅子からころげ落ちた。そのとき頭上に輝いたのは太陽ではなくほかの何かである。熱ではなく羽音をふりまくもの。あるいは世界がそこから終りはじめるふりをしながら、…

短歌日記

いつも短歌をのせているほうのレンタル日記のサーバが落ちっぱなしで回復しないようなので、こっちにアップする。もしかしたら短歌関係はここに一本化するかもしれないけど、いま出かける直前であわててるのでとりあえず。 さいはてへ採血にゆくナース・キャ…

短歌日記/魚登場

空き箱がリボンに巻かれ遠浅のひかりをただよいながら自宅へ 貝殻をばらまくように夜は来て床に沈んでいったキッチン 魚にはまぶたがなくて死ぬときもすべてを見てる(保存しますか)

短歌日記

油断するとすぐに私は、するするとひっかかりのない一本調子な短歌をつくってしまうので注意。ひっかかりがない=見通しがいいということだから、一首が目的地への一直線な通路と化してあとは到着した場所の良し悪しのみが問題になる。一首の価値は通路の役…

短歌日記

はじめにある大きな枠組みの設定を決めてから、その設定(世界)内のエピソードをランダムに考えるみたいに個々の歌をつくりはじめるというやりかたは、近いうちぜひやってみたいと思うが、この方法だと設定に大きくもたれかかった歌を大量につくってしまう…

短歌日記

私はずらっとたくさん並んだ短歌というものをどう読んでいいのか分からない。けれど短歌はいつも基本的にはずらっとたくさん並んでいる。短歌雑誌でも作品は十五首とか三十首とかいう一連を単位に掲載されているし、歌集をひらけば同じ作者の歌が何百首もえ…

短歌日記

きのうのつづき。 私の応募作 はネットで既発表(は可という募集規定だった)の歌がほとんどで、応募用の書き下ろしはほとんどない三十首だった。今読み返してみると構成には難がありすぎて、思わせぶりなだけのタイトルや章分けそして章題、とともに大いに…

短歌日記

歌葉新人賞公開選考会(第2回ニューウェーブ短歌コミュニケーション)から今かえってきました。受賞したのはこの作品です。下馬評通りでしょうか。順当な受賞だと思いました。このところ物を書いたり考えたりする細胞が死滅したかのようにぽかんとした日々…

短歌日記/敗けながら

今どきわれわれが短歌をつくるなんてことは九回の裏二死走者なし、でのこのこ打席に入るようなものなんだろうなと思う。たぶん10点くらいリードをゆるしている。31点かもしれない。つまり短歌をつくることはまっさらなゼロからのスタートじゃなくて、い…

短歌日記/短歌をあきらめて

短歌のたった三十一文字のなかに全宇宙を閉じ込める、という逆説は当然ありうるのだが、あくまでそれは逆説としてありうるのであって、無条件で本気でそう信じてしまえるようなことではない。つまり、短歌がいろいろなことを諦め、切り捨て、絶望した挙げ句…

短歌日記

日に灼けた娼婦と笑うはとバスの床にオセロの石をこぼして 自作だが、こういうタイプの歌はあきらかに穂村弘を模倣している。私にとって、格別意識しなくてもいつのまにか開けている表現の引き出しの(数少ない)ひとつが「穂村短歌」であって、この歌なんか…

短歌自習日

いまここに書いているようなタイプの文章を、以前はあっちでたまに書いていたのだが、膨大なログに埋もれて見つけるのがすごく大変になってるのでここに移した。1970年1〜4月をご覧下さい。 今読むと微妙にまちがったりテキトーなこと書いてるような気…

小説は無駄遣い

小説は一のことを語るために十の言葉を費やす。短歌は十のことを語るのに一の言葉で代える。小説は言葉を湯水のように無駄遣いすることでドライブ感を生み出すのだし、短歌は言葉を極端に切り詰めることで、逆にパノラマ島みたいなありえない広がりを錯覚さ…

短歌日記/短歌はマイナー

短歌にはきわめて限られた機能しかないと思う。短歌にやれること、やってやれなくないことはいっぱいあったとしても、短歌でやることにほんとに意味のあること(散文でやったほうが効果的じゃん、ではないこと)はきわめて限られている。それはべつに韻文よ…

短歌日記

小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館)より。 円柱は何れも太く妹をしばしばわれの視界から奪ふ 大西民子洋傘(かうもり)へあつまる夜の雨の音さびしき音を家まではこぶ 世界の陰画の側に立つ。もうひとつの世界解釈、妄想が立ち上がる決定的瞬間の…

藤枝静男「田紳有楽」

根本敬が以前どこかで、好きな小説としてこの作品をあげていたとおもう。講談社文芸文庫で一冊に併録されている「空気頭」は以前読んでいたけどこっちは未読だったので、今回読んでみたら根本敬へのこの作品からの影響はかなり濃いらしいと思った。法螺話の…

短歌日記/連作のアイデア

好みからいうと、一首ごとにいちいち足止めをくらわされて、何度も読み返してつぎの歌に進めないような歌が好きだし正しいと思う。にもかかわらず、複数の歌がならべ置かれたときには連作的な構成の意識がつくり手にも読み手にも必ず生じてしまう、という点…

短歌日記/心霊写真としての短歌

きのう書いたような「現実のもうひとつの解釈としての非現実」をつくりだす短歌というのは、いいかえれば心霊写真のような短歌ということになると思う。心霊写真というのは、たとえば岩の表面の影がたまたま人の顔のように見えたり、肩にのせた手がたまたま…

短歌日記/連作のこと

散文が直線的だとすると、短歌は循環的だという直感がひとまずあるので、各々の歌がリニアな物語の時間を分割してそれぞれ部分的に担当するみたいな連作は、ただの散文の代用品に思える。そうじゃなくて、短歌の時間はそれぞれの歌の内部で循環しているのだ…

短歌日記/非現実のこと

スカートの影のなかなる階段をひそやかな音たてて降りゆく 大滝和子 この歌はなぜいいのか。この歌はめまいがするほど非現実的だ。だがきわめて現実的、写実的でもある。現実の光景としてわかりやすく構成し直せば、スカートをはいた主人公がいて、階段を「…

短歌日記/首をはねろ

短歌はざっくりと切断するところがいいんだと思う。たとえ連作であっても一首ごとに世界の首をはねていくような徹底した切断感のないものはまるで読む気がしない。中途半端に首の皮をつなげることで連作として成り立たせようという考えは貧乏性でせこい。だ…

短歌日記/小説なんて書けるものか

仕事等がちょっとばかり忙しくなると途端に散文が書けなくなる。小説なんてもう全然無理。小説は散文の中でもとくに体力を使うから、ほかのことに体力を使ったあとじゃまるで歯が立たない。書くことそれじたいに使われる体力もそうだけど、書く前の準備段階…

小説ノート

フィリップ・K・ディック『流れよわが涙、と警官は言った』 ディックの小説には妙な浮遊感というか、地に足がつかない感じというか、読んでいる文章のうえを視線が滑っていくような、文章に直接視線がふれていないような、とらえどころのない感覚があると思…