1970-01-01から1年間の記事一覧

短歌自習日(4)「短歌を読めない私のために ―寺山修司は恥知らずか?」

短歌が読まれない理由、について考えるのは楽しい。無責任にあれこれ原因をさぐってみるのは、じつに楽しいことだ。だから私は時々考えるのである、短歌が広く読まれない理由を。 何しろ自分自身が読まないのだから、世の中が短歌を読まないことにも不思議は…

短歌自習日(3)「恐怖短歌への道」

怖い短歌をつくりたいという欲望がある。怖い小説や怖い映画のように、怖い短歌をつくることは可能だろうか? 「短歌における恐怖表現」というたぶんあまり誰も考えない(というか興味のない)ことに私は関心がある。関心はあるが、その関心をたいして深く掘…

短歌自習日(2)「ぐずぐずの日本語以外、ぜんぶ忘れる」

日本語はもはや致命的なまでに「ぐずぐず」である、と考えてみる。 われわれの使う日本語は、ぐずぐずで、よれよれだ。話し言葉も書き言葉も、だらしなく変形してくずれつつあるようだ。本当にそうなのかは、簡単には決めつけられないかもしれない。ただ、実…

短歌自習日(1)「口語短歌の狭さをどうする?」

はっきり言って、短歌というものは狭い。 べつに視野とか世間が狭いという比喩的な意味ではなく、ここで狭いというのは文字どおり、土地の面積が狭いという意味。短歌には、原則としてたった三十一音分の広さしか与えられていない。つまりオールひらがなで書…