1900-01-01から1年間の記事一覧

今日かぎりの小説

ある文章が小説として読まれるための唯一の条件は、それが今まで書かれた小説とどこかしら似ているということである。今までに書かれたどんな小説とも似ていない文章、がもしも小説を名乗っていた場合、われわれはそれを悪い冗談と受け止めるか、あるいは作…

小説の狂気

小説という形式には、正気ではないものが多く含まれている。たとえば描写には、対象を細密に言葉に移し替えていく過程で、逆に対象そのものから遠ざかってしまう性質があることはよく知られている。部分を綿密に言葉で埋めていっても、対象の全体像には永久…

読書ノート・「こゝろ」

漱石の「こゝろ」を今、電車移動中などにちびちびと読んでいる。それで考えたことなど。前のセンテンスに現れた情報を、次のセンテンスでも軽く反復しながら、新しい情報もそこにまじえることで少しずつ、先へ行ったり、後へ戻ったりしながらも、物語の「面…

すべての小説は過去

小説は過去しか描くことができない。小説の言葉は、たとえ現在進行中の出来事を語っているように見えても、それは現実の光景を言葉に置き換えて語るという(構造の)間接性ゆえに、つねに「現実」よりも遅れ続ける。何かを語る言葉は、語られている(とされ…

純文学とエンターテインメント文学

小説には純文学とエンターテインメント文学という区別がある、と言われている。もっとも、こうした区分はもっぱら純文学勢によってなされるか、純文学を過度に意識した一部のエンターテインメント文学勢によってなされるか、のいずれかであり、世の人々の多…

自作を読むということ

自分の書いた小説を読むことは難しい。なぜなら作者にとって小説は、じっさいに書かれた実物の小説である以前に、想像的に書こうとした小説でもあるからだ。書かれた小説そのものから、書こうとした小説の影を引き剥がして読むことは、書いた本人にとってほ…

「書かれるはずだった小説」の亡霊

まだ書かれていない小説について、われわれは何も想像することができない。それがどんなに魅力的な構想として、しかも緻密に準備されていたとしても、じっさいに小説として書かれる具体的な言葉が、そんなものはいくらでも無残に踏みにじることができる。正…

小説と時間について

小説の文章には、つねに時間が存在している。時間の存在しない文章は、小説の中にはありえない。小説で何かが細密に描写されたり、本筋を離れて説明がされているとき、物語の時間は停止することもあるが、そんなときさえ「止まっている時間」というかたちで…

「あたらしい小説」の自由

小説には、きまった書き方というのはない。小説はどう書かれようがまるで自由であり、その自由はまだまだ使い切られていない、と言えるだろう。我々の知っている小説の多くは、みな驚くほどよく似ている。つまり、それらの作品群と少しも似ていない小説が書…

小説的視界について

小説において、風景はつねにゆっくりとあらわれる。小説の読者は、風景を瞬時にして視界に収めることはできない。まずはじめに時間が存在し、読者はある程度の時間の流れを経験したのちに、事後的に、ようやく風景を視界に収めることができる。 たとえば、小…

小説を書くことの簡単さについて

小説を書くことは、実はひどく簡単なのだ。なぜなら、たとえばリンゴというものを小説に書こうとしたとき、リンゴのことを表す「リンゴ」という言葉があらかじめ存在するのだから、書き手はそれを使えばいいし、原則としてそれしか使いようがない。そして読…

不自由について

小説を書くことは、自由と不自由のあいだで書くということである。あるいは、無限の自由を有限の不自由に置き換えていくように、小説は書かれるだろう。それはどういうことか。小説がまだ書き始められる前、目の前には無限の自由が広がっている。だが一行目…

さらに、小説と幽霊のこと

小説に幽霊が出るためには、その小説が予め「幽霊の出そうな場所」になっている必要がある。 なぜなら幽霊とは「幽霊の出そうな場所」以外には出ないものだ。「出そうな場所」を準備することなく、いきなり描かれた幽霊はニセモノにしかならない。「出そう」…

小説に幽霊は本当に出るのか?

怖い小説を書く、つまり恐怖という意味を描いた小説ではなく、それじたい恐怖そのものであるような小説を書くにはどうすればいいのか?このひどく漠然として、しかし長いこと頭からずっと離れない問いについては、これからも時間をかけて少しずつ考えてみた…

小説はミステリに屈服する

すべての小説はミステリに似ている。なぜなら小説と読者の立つ場所には、必ず決定的な段差が存在するからで、それは事件と探偵の位置関係と同じだし、それをなぞったミステリとミステリ読者の位置関係とも同じである。小説はいつも読者に先行して存在し、読…