読書ノート・「こゝろ」

漱石の「こゝろ」を今、電車移動中などにちびちびと読んでいる。それで考えたことなど。

前のセンテンスに現れた情報を、次のセンテンスでも軽く反復しながら、新しい情報もそこにまじえることで少しずつ、先へ行ったり、後へ戻ったりしながらも、物語の「面」をしだいに広げつつ、先へと話を進めていく。そういう方法が「こゝろ」の文章からはっきり確認できた。
この方法はとても参考になる。センテンスごとに、まるきり新しい情報ばかり現れたのでは、読者はすぐについていけなくなる。置いてきぼりを食う。単語をすこしずつ取り替えながら同じことを何度も言い、言うたびに新しい情報も付け加える。その新しい情報もまた、何度も繰り返すことで定着させていく、という一見のらりくらりとした進め方が小説には必要らしい。そうやって読者の歩く道を広げてやらないと、まるで綱渡りのように細い道では、ほとんどの読者が墜落してしまうわけだ。

しかし第二部「両親と私」の途中まで読んだ限りで言えば、「こゝろ」はあまりできのいい小説ではない。かなり退屈する、スカスカの小説だ。だからこそ、上に書いたような「方法」がはっきり見極められたと言うべきかもしれないが、とにかくかなり無理して書いてるというか、手先で書いてる感じの文章。漱石、楽しんでないなあ、というのが読んでて分かってしまう。情報が詰まってなくて、とにかく形だけ整えようとして、小手先のテクニックだけ使っているという印象。
だがこうした小手先のテクニックほど、シロートは見逃しがちだし、見逃すことで小説が成り立たなくなっていることも多いと思う。才能ある人の書いた凡作、というのは案外参考になるのかもしれない。

2001/09/24 18:17:00