すべての小説は過去

小説は過去しか描くことができない。小説の言葉は、たとえ現在進行中の出来事を語っているように見えても、それは現実の光景を言葉に置き換えて語るという(構造の)間接性ゆえに、つねに「現実」よりも遅れ続ける。

何かを語る言葉は、語られている(とされる)光景そのものよりも、つねに半歩遅れることを避けられない。

つまり「雨が降ってきた」と記されたときには、雨粒が地上に落ちたことはすでに言葉に先立って確認されているはずである。その点、雨粒そのものを映像として差し出せる映画などとは決定的にちがうということだ。

さらに小説の場合、そこに「読まれるためにかかる時間」が加わることで「遅れ」がいっそう激しく進む。映像が一瞬で示すことのできる光景を、文章が不足なく描写しようとすればどんどん遅れていくし、映像に追い付こうと描写を簡潔に済ませば、情報の取りこぼしが多くなる。かといって映像のスピードに追い付くことなど絶対に不可能なのだ。

小説は読まれたときにはすでに過去だし、読まれている間にもそれはさらに遠ざかっている。

小説はつねに遅れ続ける、ということを頭に置かなくてはいけない。

2002/01/28