2003-11-01から1ヶ月間の記事一覧
私はずらっとたくさん並んだ短歌というものをどう読んでいいのか分からない。けれど短歌はいつも基本的にはずらっとたくさん並んでいる。短歌雑誌でも作品は十五首とか三十首とかいう一連を単位に掲載されているし、歌集をひらけば同じ作者の歌が何百首もえ…
きのうのつづき。 私の応募作 はネットで既発表(は可という募集規定だった)の歌がほとんどで、応募用の書き下ろしはほとんどない三十首だった。今読み返してみると構成には難がありすぎて、思わせぶりなだけのタイトルや章分けそして章題、とともに大いに…
歌葉新人賞公開選考会(第2回ニューウェーブ短歌コミュニケーション)から今かえってきました。受賞したのはこの作品です。下馬評通りでしょうか。順当な受賞だと思いました。このところ物を書いたり考えたりする細胞が死滅したかのようにぽかんとした日々…
今どきわれわれが短歌をつくるなんてことは九回の裏二死走者なし、でのこのこ打席に入るようなものなんだろうなと思う。たぶん10点くらいリードをゆるしている。31点かもしれない。つまり短歌をつくることはまっさらなゼロからのスタートじゃなくて、い…
短歌のたった三十一文字のなかに全宇宙を閉じ込める、という逆説は当然ありうるのだが、あくまでそれは逆説としてありうるのであって、無条件で本気でそう信じてしまえるようなことではない。つまり、短歌がいろいろなことを諦め、切り捨て、絶望した挙げ句…
日に灼けた娼婦と笑うはとバスの床にオセロの石をこぼして 自作だが、こういうタイプの歌はあきらかに穂村弘を模倣している。私にとって、格別意識しなくてもいつのまにか開けている表現の引き出しの(数少ない)ひとつが「穂村短歌」であって、この歌なんか…
いまここに書いているようなタイプの文章を、以前はあっちでたまに書いていたのだが、膨大なログに埋もれて見つけるのがすごく大変になってるのでここに移した。1970年1〜4月をご覧下さい。 今読むと微妙にまちがったりテキトーなこと書いてるような気…