短歌日記/短歌をあきらめて

短歌のたった三十一文字のなかに全宇宙を閉じ込める、という逆説は当然ありうるのだが、あくまでそれは逆説としてありうるのであって、無条件で本気でそう信じてしまえるようなことではない。つまり、短歌がいろいろなことを諦め、切り捨て、絶望した挙げ句の果てにそういう逆説もかすかに見えてくるのであって、短歌が散文と張り合えるなどとこの時代にほんの少しでも信じてしまっているうちは、そんな逆説など夢として語る余地さえないだろう。いわば短歌には何ひとつできないのだと言っても過言ではないということ、この気の重い事実を受け入れたのち静かにもう一度57577を眺めれば、いわば現実にこの世で何もできないことがそっくりそのまま反転し、非現実のあの世でなら何でもできるとでもいうような錯覚が襲ってくるはずであり、この錯覚を錯覚と知りながらなお拒もうとしない者だけが、三十一文字に全宇宙を閉じ込めつつ、自らも三十一文字の中へ姿を消し去るようなマジック(もちろんすべて錯覚)を手に入れることができる、かもしれない。

  • さみだれの山岳地帯死にかけてまた生きかけて聖書によだれ