短歌日記

  • 日に灼けた娼婦と笑うはとバスの床にオセロの石をこぼして

自作だが、こういうタイプの歌はあきらかに穂村弘を模倣している。私にとって、格別意識しなくてもいつのまにか開けている表現の引き出しの(数少ない)ひとつが「穂村短歌」であって、この歌なんかは引き出しをあけっぱなしにしてつくった感がある。だけどじゃあ穂村短歌の方法っていうのはどんなものかと聞かれたら、とても即答はできないどころか、じっくり考え込んでもあまりいい答えは浮かばない。ただ、穂村短歌が発明し前提にしているひとつの画期的な作法がなければ、私などはとてもじゃないが短歌などつくれはしなかっただろう、ということは間違いない。穂村氏がいったい何を発明したのかについては、曖昧だったり抽象的だったりしない具体的で身も蓋もない言葉として語られなければいけない、と思う。私が今後も短歌にかかわるつもりならそこは避けて通れない。

マネキンのポーズ動かすつかのまに姿うしなう昼の三日月  穂村弘