小説と時間について

小説の文章には、つねに時間が存在している。時間の存在しない文章は、小説の中にはありえない。小説で何かが細密に描写されたり、本筋を離れて説明がされているとき、物語の時間は停止することもあるが、そんなときさえ「止まっている時間」というかたちで小説に時間は存在する。停止すればしたで、停止していることを意識しないではいられないというのが、小説における時間というものなのだ。

逆にいえば、時間の存在をまるで意識せずに読まれうる文章は、小説ではない(たとえばシナリオ。映像によって時間を与えられることが前提のため、シナリオの文章自体には時間は存在しない。のちに映像が埋め合わせるであろう空白の時間に沿って、事物の断片が並べられていく)。小説はつねに、読者を時間の意識の中へ置き続けるため、さまざまな操作を駆使し、時間をときには加速させ、ときには減速させ、あるいは停止、省略、そして現実と等速で流れる(かのように見える)時間さえも、人工的な操作でつくりだす。

そうした異質な時間のあいだの「切れ目」を読まれることによって、読者をこの場に特有の環境に馴致し、小説は時間を手に入れるのだ。

2002/03/02