短歌日記/小説なんて書けるものか

 仕事等がちょっとばかり忙しくなると途端に散文が書けなくなる。小説なんてもう全然無理。小説は散文の中でもとくに体力を使うから、ほかのことに体力を使ったあとじゃまるで歯が立たない。書くことそれじたいに使われる体力もそうだけど、書く前の準備段階、つまり人の小説を読んだり自分で途中まで書いた部分を読み返したりして、小説を書ける状態に自分を持っていく作業の体力がもたない。ふつうに勤め人をしながらコツコツと何百枚もの作品を書き上げて、新人賞に応募したりできるひとの存在が信じられない。だいたい朝の通勤ラッシュに揺られた時点で、原稿用紙十枚分くらいの体力は簡単に持っていかれるのに。
 こんな虚弱な私でも短歌は毎日あたらしいのをアップしつづけられるんだから、短歌って便利だ。小説を書く場合どうしても毎日少しずつ書くわけで、つねに途中の状態、宙吊りの状態を持続しなけりゃならないわけであり、その点も体力を消耗する原因なのだが、短歌はあっというまに終わりが来るところがいい。いったん終らせたものを当然推敲するのだが、推敲もすぐに終わりまでいく。何度もそうして推敲をくり返し、何度も推敲を終らせ続ける。とにかくいったん終りがやって来て区切りがつくところがいい。終わりはもう自動的に、強制的にやってくる。どこで終らせたらいいのかという悩みは一切ない。最初から終っていて、終わりから書きはじめるようなものだし、短いサイクルの中で頭を使えばいいのがよい。
 というところまで考えたところで、眠くてこの先が続かないのでリリース。

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