2003-01-01から1年間の記事一覧

短歌日記

短歌の短さは「なにもつたえない」ことに向いてるんではないのか。正しい意味をつたえる短歌つまり「正解」のある短歌は、正解だけで容量いっぱいになってしまうのではないか。 正しい意味=正解なんてどこにもない、というのではなく、それは短歌の中にはな…

短歌と小説について、すばやく考える

短歌と小説は当然のことながら長さが大きくちがうのだが、長さの違いとも大きくかかわる性質として短歌は空間的、そして小説は時間的であるという違いがある。短歌につかわれているそれぞれの言葉は一首の中のどんな位置に置かれているかその短さゆえに一目…

短歌日記(短歌に物語は必要なのだ)

物語を喚起する短歌が好きである。そういう短歌にしかほとんど興味がないといってもいい。連作で物語をなしている短歌ではなく、また作者の人生という物語を背景に味わう短歌でもない。一首がそれだけで、単独で、読み手を物語に引きずり込むような短歌。ち…

死角が必要なのだ

我々はひとりひとりみんなちがうのだし、みんなちがうということが救いなのだ。 わたしは、わたしと何もかも同じ人間などほかにひとりもいないということを思うと、ほっと胸をなでおろしてしまう。だって、もしそんなやつが自分以外にいるのだとすれば、わた…

短歌日記

短歌をつくることはラジオのチューニングをするとかカメラのピントを合わせるとかそういうのに近い。短歌のフレーム(それは自分の中にあるのだが)を最初はおおざっぱにふりまわして、そこに入り込んでくるさまざまのものを眺めている。 そのうち、何か面白…

短歌日記

短歌には定型というフレームがあり、いわば部分に先立って全体が存在している。 にもかかわらず、そのフレームはたとえば写真のフレームのように、誰の目にもあきらかに存在しているものではない。短歌のフレームはその存在を信じる者にしか見えない。 だか…

短歌日記

短歌もエンターテインメントである。歴史的な文脈や、同時代的な現状をほとんど無視(というより無知を放置)して言うのだが、短歌という形式が目の前にあって、これをいったい何に使えるかなあと考えた場合思い浮かぶのは「エンターテインメント」だという…

短歌日記

わたしはいわゆる文語で短歌をつくる気は全然(というほどではないが、基本的に)ないけど、文語短歌については多少は知っておいたほうがいいかもしれないなあ、とも思う。それは口語で短歌をつくることが、文語とくらべて自由で簡単だと勘違いしないためで…

短歌日記

オイスター・ソースの壜をラッパ飲みしているぼくに花束贈呈 自作の供養。出来不出来はいちおうおいといて、すごーーくきらいな短歌をうっかり自分でつくってしまうようなことは時々あるので、うっかりどこかに化けてでてしまう前にあらかじめこうやって供養…

短歌日記

そんな久作の「猟奇歌」のなかから一首。 真鍮製の向日葵の花を 庭に植ゑた 彼の太陽を停止させる為 夢野久作 何か引用しようと思って『夢野久作全集 3』(ちくま文庫)をめくっていて見つけた。久作らしいやりかたで狂気が表現されていると思う。 もう一首…

小説ノート

夢野久作「押絵の奇蹟」 私が読んでおぼえているものでは「瓶詰地獄」「ドグラ・マグラ」もそうだったけど、夢野久作が〈兄妹の恋愛〉をくり返し書いた作家だということに、これを読んでやっと気がついた。生涯のテーマというかオブセッションというか、そう…

短歌日記(火星短歌)

このたび火星大接近を気にしながらつくった何首か、より以前にも、火星のことは何度か短歌にしていたような気がしたので、ひろってみた。すると「火星」という語がつかわれている自作は(大接近モノをふくめて)ぜんぶで四つありました。いずれも自分ではけ…

短歌日記

何日か前のレトロスペクティブに あたらしいかさぶたがある夜空にはぼくらのいない窓しかなくて という短歌をのせたのだが、これは下句がかなり弱かったと思う。もともとは「あたらしいかさぶたみたいな赤い星(火星)のある夜空を見ると、たくさん星が輝い…

小説ノート

小説は文章のドライブ感がすべてだ、というくらいに強く訴えておきたい。まあよっぽどおもしろいストーリーだとか、ストーリーの語りかたがものすごくうまいというならあれだけど、そうじゃないならドライブ感、ほとんどそれだけで小説の価値は決まる。ドラ…

短歌日記

潮みちる運河われわれの偽りにより行路死亡者はあるく 「行路死亡者」「行路死亡人」「行路病者」はまだまだいくらでもつかいたくてたまらないコトバである。ようするに行き倒れという意味で、意味は悲惨なはずなのに、あまり悲惨さをつたえない語感だと思う…

小説ノート

「バナナフィッシュにうってつけの日」J・D・サリンジャー(『ナイン・スーリーズ』野崎孝訳より) 中条省平『小説家になる!』で詳細な読みが示されていたのは覚えていたけど、というかその印象があったから読んでみたのだけれど、あらすじはすっかり忘れ…

夜警死に水

焼け石に水、と打とうとしたらこわい変換に。死に水を夜警がとるのか、夜警の死に水をとるのか。それともただ「夜警」が「死に水」の横にじっと立っているのかもしれない。夜中の病院で。 あるいは「夜警死に/水」という区切りで読むと、なんか自由律俳句ふ…

短歌日記(ジレンマ)

小説が書きたくてもなかなか書けない私にとって短歌は、短歌でしか書けない、短歌だから書けると思わせてくれる希望のウツワであると同時に、ほんとうに書きたいものはどうしても短歌では書けない、短歌だから書けない……というジレンマのはりついたウツワで…

短歌日記(誘拐された言葉)

箱庭は閉じている。閉じていて、この世の現実とは隔絶しているがゆえに、現実ではないどこかべつの世界とつながってしまう。別世界の覗く窓になる。 暗闇のわれに家系を問ふなかれ漬物樽の中の亡霊 寺山修司 ここにある「暗闇」も「家系」も「漬物樽」も「亡…

小説ノート

『容疑者の夜行列車』多和田葉子 を読書中。異国で夜行列車に乗る、という設定の物語を二人称で描く「定型」をもった連作短篇。オビには「長篇」とあるけどふつうこういうのは長篇とはいわないと思う。 二人称(「あなた」という呼び掛け)で語られる小説の…

短歌日記(果てある世界)

こわれたように笑う ぼくらは海辺へと誰かを迎えに来たんじゃなかった? 海が世界の果てであることはしょうがない、認めよう。もうこれ以上歩けないその先は、海。足止めくらって僕たちは口々に文句をたれた。なんだって海なんだこんなに! あっちもこっちも…

↑の短歌は

だいぶ前につくったけれどレトロスペクティブ(私が新作短歌をかたっぱしから発表してるページ)には掲載していない。 部分的にダメなところがあるので直したいとかではなく、この短歌の存在じたいに何だか許せないものが含まれているのだが、何がどう許せな…

短歌日記

「聞かないから言って」ふさいだ両耳に告げるゆうべの犯人の名を

短歌日記

私は文学作品からはあの世の声が聞こえるべきだと思う。 あの世から言葉が漏れてくる裂け目として短歌は期待できると思う。 偏頭痛ふたたび夏をひまわりの抜かれた穴点々とある道 木星の地図買うたびに木星は膨らんでるの と震える声で

短歌日記

映画版『田園に死す』 『田園に死す』は恐山の魅力を正しく文学化していた。同じように、映画『田園に死す』は歌集『田園に死す』の魅力を完全に映像化することに成功している。 歌集から九年後、寺山自身の監督したこの映画は当然のことながら、恐山の映画…

短歌日記

お金があったら歌集を買う 歌集は本屋にあまり置いていない。 だから短歌がエンターテインメントでもあり得る、という事実に人はめったに気づかない。かなりな読書好きの人でも、読書する本の選択肢に「歌集」は入ってこない。あれは国語の授業で鑑賞させら…

小説ノート

小説は書きはじめたらできるだけ一気に書き上げたい。だらだらしてると途中で考えが変わったり、考えていたことを忘れたり、最近読んだ本の影響が出てとちゅうで作風が変わるとか、いろいろあるので。

短歌日記

見なかったことに 『田園に死す』をよりどころにして短歌を考えることは、結論から物事を考えることに似てしまう。不動の結論に向かって何度考えをたどり直しても、袋小路のつきあたりっぷりを確認する意味しかない。その袋小路じたいに魅力があるという考え…

比喩の限界

「顔から火が出る」という表現がある。 なぜ顔から火など出てないのに「火が出る」と言い切ってしまってよいのか。 言い切ってしまって通用するのか。といえば、それは人が「顔から火が出る」ような場面に身を置いたとき、たしかに「顔から火が出る」ような…

短歌日記

たとえば キャンパスは跡形もなく薄日さす隕石口をわたる黄揚羽この一首。最近つくったものだがいかにも「短歌的」にまとめようとしている魂胆が見えて見苦しい。自分の知っている「短歌」(ってこういうものだったよなあ確か……という貧困なイメージ)にひた…