小説ノート

小説は文章のドライブ感がすべてだ、というくらいに強く訴えておきたい。まあよっぽどおもしろいストーリーだとか、ストーリーの語りかたがものすごくうまいというならあれだけど、そうじゃないならドライブ感、ほとんどそれだけで小説の価値は決まる。ドライブ感の出しかたというのは一つや二つじゃないので、それぞれ自分にあったやりかたがあると思うが、わたしのばあいセンテンスをすこし長くとって、読点でだらだらつないでいくのがよいような気がする。基本的にとても悪文だから読点を省くとすごく読みにくくなるし、かといって句点でこまかく文を切っていくと、文と文のあいだのつながりが悪くてブツブツ切れた印象になる。だから読点でかたちだけでもつないでしまったほうが(息がつながって)いいのだが、書いているときはちゃんと意味のとおる文章を書けてるつもりなので、けっこう細かくセンテンスを切ってしまい、あとで冷静になってから読み返すと愕然とするのだ。文章のドライブ感一般に関していうなら、とにかく基本は「書かれてる意味がよくわからくってもなんだか心地よく読める文章」これじゃなかろうか。私にとっては『表層批評宣言』以来蓮實重彦せんせいの文章がそういうものでありつづけている、ような気がする。しかし影響され過ぎると目も当てられないので、注意がいる。