比喩の限界

「顔から火が出る」という表現がある。
なぜ顔から火など出てないのに「火が出る」と言い切ってしまってよいのか。
言い切ってしまって通用するのか。といえば、それは人が「顔から火が出る」ような場面に身を置いたとき、たしかに「顔から火が出る」ような気分を味わうからだ。
似てるのである。そのときの気分と、顔から発火してるときの気分が。
とはいえ、顔面発火の経験がある人はほとんどいない。顔面発火の経験談すら、たいがいのひとは聞いたこともない。だからそういうときの気分(とか熱さとか)なんて知らないが、知らないなりに想像してみるわけだ。「顔から火が出たら、どんな気分だろう」と。
想像された「顔から火が出たときの気分」が、いわゆる「顔から火が出る」ような経験をしたときの気分と相似的である。ということになっているのである。
だから本当に顔から火が出てしまった、顔面が発火してしまった経験を持つ人は、「顔から火が出る」という表現は使わないと思う。
「顔から火が出るのと較べたら、こんなのぜんぜんマシだ」って思うはずだから。