短歌日記

 短歌をつくることはラジオのチューニングをするとかカメラのピントを合わせるとかそういうのに近い。短歌のフレーム(それは自分の中にあるのだが)を最初はおおざっぱにふりまわして、そこに入り込んでくるさまざまのものを眺めている。
 そのうち、何か面白いものや、不気味なものがフレームに入り込んだような気がしたら、徐々にピントを合わせながら構図を決めていく。あるいは耳をすませながらチューニングを微調整していく。
 思うように短歌がつくれないのは、フレームの振り回し方が足りなくて、珍しいものがつかまらないときであり、ピントをあわせる指に神経がいき届かず、せっかくの獲物をもてあましてしまうときである。
 でも調子のいいときはたいてい二つがほとんど同時にできてしまうし、調子の悪いときはひとつだって満足に行かない。というか、調子の悪いときはろくなものがフレームに入ってないのに、そのことはうまく理解できずにいつまでもこねくりまわしているような気がする。
 じゃあレンズやアンテナをどこに向ければ珍しいものがキャッチできるかというと、それがよくわらない。生活派や思想派ではない「あの世派」の自分としては、レンズを向ける先が自分でも決まっていない。心霊写真みたいに妙なものが偶然入り込むのを待つだけかもしれないが、いちおう墓場とか事故現場(比喩です)にレンズを向けると確率が高くなる気がして、そうしてみたりはする。
 この世の現実が薄くなっていて、あの世が漏れてきやすい場所、物件というのはたしかにあると思う。でもそういうものでもずっと眺めているといつのまにか日常が厚くなってあの世の気配が消えてしまうようだ。
 そしたらまた移動する。漏れそうな場所をさがして。そのくりかえしくりかえし。

  • 絵はがきの海にひかりが充ちてくる今朝も微動だにしない冬蠅