短歌日記/連作のこと

 散文が直線的だとすると、短歌は循環的だという直感がひとまずあるので、各々の歌がリニアな物語の時間を分割してそれぞれ部分的に担当するみたいな連作は、ただの散文の代用品に思える。そうじゃなくて、短歌の時間はそれぞれの歌の内部で循環しているのだから、複数の歌を並べたところでそれぞれの歌の時間が接続されたりはしないはずなのだ。もし接続されて全体でひとつのリニアなストーリーを描いているように見えるなら、それは短歌の短歌的な性質を殺して(機能させないようにして)散文のかわりに使っているにすぎない。
 じゃあそれぞれに完結して循環していて、横に時間のつながっていかない短歌を複数ならべてどうやって連作として成立させるかというと、時間ではなく空間のつながりを見るのである。共通の空間から切り出されてきた複数のエピソード(それぞれの時間的な前後関係は不明)として歌をならべる。空間というのは地理的な空間でもいいし、神話的な疑似空間でもいい。世界観という言い方をしてもいいかもしれない。各々の歌が同じ背景としてひとつの世界をもっていると感じさせれば、それは連作として成り立つだろう。そういうかたちで短歌(の連作)は、散文とはちがう種類の物語を描けるだろうとひとまず、考える。

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