ロボットの傷口

『A.I.』スティーヴン・スピルバーグ。このなんとも胸苦しいドラマを、でもきっと最後はうまく着地させて終らせるのだろうとか、しかしどんな着地点でもこのドラマはきれいに閉じきれないんじゃないかとか、もしかしたら着地を放棄して傷口をあけたまま投げ出されるんじゃないかとか、いろいろ考えながら見ていた。
 結論をいうと、傷口には絆創膏がはられ、江戸のかたきは長崎で討たれた。
「子供を失った親にあたえられたニセ子供が親を失ったのでニセ親をあたえられる」という話である。
 ピノキオの物語へ憧れ続けるロボットが、ピノキオ的救済にはたどりつけず生々しい傷口をさらけだしたまま、みずからの物語の枠からも大きくはみだして、とってつけた(2000年後!)ような場所でようやく擬似的な救いをあたえられるということ。
 その救いとはかつてロボット自身が人間にあたえたもの(彼自身の存在理由)とまるで同じものだったということ。
 なんだろうこれは。
 傷が。