陰謀論と小説

ディックとバロウズの共通しているところは陰謀論の作家という点だ。
そして陰謀論がおもしろいのはキチガイの論理だから。
肥大した自意識がかかえこんでしまった劣等感、を裏返しにするかたちで、自分を陥れようとしている巨大な陰謀の存在を夢見るのが陰謀論者だ。
そういう都合のいい悪を夢想しないと心のバランスが取れないからであり、陰謀論というのはその意味でかなり切羽詰った、余裕のない息苦しい精神状態をあらわしている。
にもかかわらずディックもバロウズも底の抜けたようなユーモアがあり、作品が陰謀論に基づきつつその馬鹿馬鹿しさまで(けして陰謀論批判としてではなく)見せつけてしまうのは、かれらが書いたのが小説だからだろう。小説というのはたぶんそういうものなのだ。
本当の小説家はどんな主義主張に頭の中が固まっていても、その主義主張の批判者以上に自らその限界をまっさきに作品の中で暴露してしまう。
小説という磁場に身をゆだねるというのはそういうことなのだ。