抱負的な

年の初めは一年に呪いをかけることができるので、せっかくだから。


今年は、自分にとって本当に面白いものだけ書くようにしたい。人の評価を気にすると、外在的な枠にどう自分を合わせるかが重要になる。そこ(枠)が審査が行われてる現場だから。
すると枠からはみ出たり、逆に届かなかったりする部分は真っ先に切り捨てる習慣がついてしまう。でもその切り捨てた部分に、けっこう自分が面白いと思うものの肝心の核があったりすることは多い。


小説を書くこと(を初め、表現ごと全般)はべつに競技ではないのだから、自分が一番勝てるルールで勝負すべきである。
というより自分を絶対に勝たせるためのルールづくりの過程そのものが、作品をつくるということなのだ。
当然そのルールが共有される場というのは存在しない。だから他人と試合することは不可能であり、また、不可能なルールが目指されなければいけない。
枚数とかジャンルとか文章力とか個性とか現代性とか文学性とか、そういう目に見えて共有される差異の基準枠のほうが作品にとっては虚構である。なのにそっちを現実だと思い込むと、逆に今書かれつつある作品のほうが虚構に思えてきてしまうという困った逆転が起きる。そこは注意しないといけない。作品の外にもすでにルールはいろいろと存在かつ機能しているであろうが、それは社会のルールであって小説のルールではない。小説のルールはこれから作品そのものとして書き込むのであって、それまではどこにもないし、それ以後も作品の外にはないのだ。