2003-08-14 短歌ノート 短歌 箱庭 短歌は箱庭であると考える。限界のはっきりした空間に日本語(原則として)をレイアウトするのが短歌。この貧しさをまず自覚する。一生懸命辞書を引いてめずらしい言葉を見つけてきても、この貧しさを逃れることはできない。自分を錯覚させる効果しかないし、錯覚を共有した間柄の中に引きこもる効果しかない。と考えてみる。 日本と短歌 短歌の箱庭性には、日本列島の(地形の)箱庭性が反映している?