短歌日記

さっき並べたような大半の歌は、日によってまあまあいい出来のように見えて嬉しくなったり、ひどくつまらなく見えてがっかりしたりする。つまりこちらの気分とか体調が簡単に反映してしまうくらい希薄で、弱くて、受け身なつくりなのである。存在のでっぱりを強力に主張してぐいぐい食い込んでくるところが少なく、なんだかあっけなく平坦だったり凹んでたり隙間ができていてその日の気分がそこから容易に一首に反映してしまうのだ。
自分の中で評価のブレが生じない歌がもっとないとダメ。
そもそも吹けば飛ぶような短歌の一首なのである。いわば「同業者的」に好意的な目を向ける読者以外も思わず立ち止まらせるような、無視できない厄介な存在感をもたせるのは相当なことである。そんなことは不可能なのかもしれない。不可能かもしれないことをするのだという覚悟が、ちょっと油断すればすぐどこかへ消え失せてしまうのである。
何だこれは、という予期せぬ出来事が一首の中でひとつ起きたくらいでは誰も立ち止まらない。それではただのハッタリにすぎないから、もう一度読んでみようという気は起きない。予期せぬことが一首の中で二つ三つ立て続けに起きてはじめて通りすがりが立ち止まる可能性も出てくるだろう。現状ではあきらかに「何だこれは」が足りず、一瞬のハッタリで終っている歌が目立つのだが、問題はその程度でけっこう満足してしまっている作者である私の満足点の低さだ。才能の限界はこういうところに現れるのかもしれないと考えると恐ろしい。

夏空に帽子あゆみて父見えず白き野ばらの垣をめぐれり  水原紫苑