内容はいらない

 小説を書いていていちばん気をつけなきゃというか肝に銘じなきゃいけないと思うのは「見得を切らない」ということで、つまりうっかり小説の中で「いいこと」を言おうなどと思ってはいけないということだ。
 そう気をつけているつもりでもいつのまにか「いいこと」を言っていい気になってる文章が見つかるもので、そういう部分をみつけては削り取って均してどこにも見得を切ってる部分がないようにしないと、小説はその「いいこと」の部分からまっさきにダメになって腐っていく。
 もう内容なんてどうでもいいと言い切ってしまって、それが極論だなんて思わなくてもいいんじゃないか、と最近考えるようになってきた。どうでもいいとまでいうのには抵抗があったんだけど、どうでもいいとまで言い切らなければずっと中途半端な妥協によるこじんまりした失敗を繰り返すだけじゃないのか。だから小説に内容はいらない。ただずっと読み続けたくなるような、読み続けてしまうような文章のリズムだけがあればよく、内容なんてものがあるとリズムのじゃまになるだけである。リズムがいい具合に刻まれていることで事後的に小説のなかをいろんなものがよこぎっていくことはあって、その中にはテーマと呼べそうなものが混じっていることもあるが、テーマなんていっこうによこぎる気配がないこともあり、しかしそれを失敗だったと思う必要はなくてそれはそれで何の問題もなく小説だということにしよう、と思うのである。つまりリズムしかなくても小説だ、ということにして、リズムに命を賭ける。
(リズムというのは適切な言葉じゃないかもしれないので、仮に。)