深沢七郎を考え中

●「東北の神武たち」深沢七郎
 とちゅう楢山節孝の書き出しの文章が唐突に出てきたのでわらった。民話みたいなくりかえしくりかえしが多くて(内容も民話的)それが散文らしい反復感、つまり口承的なリズム感とはちょっとちがう、無意味を堆積させていくあの感じの方へずらしてるところが批評的?みたいなことを考えてみながら読む。
 ええとつまり、民話におけるくりかえしくりかえしは作り出すリズムに主眼があると思うんだけど、小説でそれをやるとリズムももちろん出るけど、文章として無意味感が増していくというか、民話でも無意味感は出るんだが、小説はそれが文字に定着して堆積していくわけです。無意味の堆積は小説の小説らしさだと思うんだけど、ここではそれが民話のやり方が借用されてるところに意味があるんですね。
 小説というフレームにそうじゃないもの(この場合は民話)が入ってきたときの腹を抱えさせられるこの感じはいったいなんだろう。中原昌也の面白さにもそういう部分があると思うし、バーセルミにもそういうところがあると思う。小説というのはある批評的なフレームのことなんじゃないか? それだけなんじゃないか? という気がしてくる。そこまで定義を小さく(大きく?)おくと、もはや小説だけの定義じゃなくなっている気はとてもするが。
 深沢七郎に学ぶ。保坂和志にもひきつづき学び中。で小説を書き中。で、
●『新・それでも作家になりたい人のためのブックガイド』すが秀実渡部直己
も読み中。旧版からもう11年たっている…それでも作家になれない人がまた買いました…