題名と描写と説明

推敲は削りまくることが中心となった。いらない場面、だれてる場面などをサクサク削ってしまうとだいぶましになる。いらないものはたいてい多すぎて、必要なものはたいてい少なすぎる。それが自然な状態だからだろう。作品というのは、自然な状態ではいけないので、不自然をつくるために無理をする。無理せずに不自然が呼び込めるタイプを天才と呼ぶのだろう。
タイトルをつけるのにけっこう難儀した。いつもわりとそうだ。書く前につけてしまうこともあるが、結局内容が合わなくなり変えたりする。内容に合わせて考えたタイトルは、言葉を置きにいった手の動きが見える。そこを消すのがしんどい。しかも大抵は(そして実際今回も)〆切り前日や当日にあわただしい気分の中で考える。うまくいかない。タイトル貯金をしておくべきだった。昔はけっこうしてたけど、どっか行ってしまった。
内容とぜんぜん関係ないものを最後は選ぶ。無意味な付け方だと、予期しないつまらない意味が発生することがある。それは付けた直後にはわからない。今回のは、架空の外国のことわざみたいのにしたから、たぶん大丈夫だろう。タイトルがちょっと複雑な意味(無意味)をもつので、単純に本文とくっつかないと思う。剥がれっぱなしの恐れもある。(水分の不十分だった切手みたいに、途中で剥がれたり。)



描写っていうのは説明に肉付けしたものかというと、違うんじゃないか。
足りないのはたいてい描写で、多すぎるのは説明だけど、説明になっちゃってるから描写に直せばいい、わけではない。
説明は描写に直さないで削るべきもの。描写すべきところは最初から描写になってるはずだ。結果的に描写が足りないとしたら、えらぶ道をまちがえてるからだ。描写すべきもののない土地を歩いている。
ストーリーを書く場合はそうもいかないだろうけど(小説の生理とストーリーは一致しないから「見事に言葉を置きにいく」能力がいる)、私は書かないからいいのだ。描写になる道だけ採用して事後的にそれを道順とする。