風呂読み

ひさしぶりに風呂に入ったらお湯が腐っている。入れっぱなしの入浴剤は悪臭に押され気味で苦しげに香った。それもしかたないことでしかない。そのことで何かに対してとくに腹は立てない。もし腹を立てなんらかの暴力を行使するなら、まっさきに自分自身がそのターゲットになる。私は自分がかわいいので腹は立てず遠い目をして本でも読む。そもそも本を読むために、風呂を沸かしたのだから。私は風呂と電車の中でしかあまり本は読まない。『世紀末新マンザイ』福田和也島田雅彦、と『アングラ機関説』平岡正明、を用意して臨む。『世紀末新マンザイ』を半分くらいまで読む。途中いろいろ思いついたことをメモしたりする。やはり読書中はいろんなことを思いつく。人は笑ってる人を見ると笑うように、考えてる人を見ると考えるのだ。対談というのは話があちこち飛ぶのと、書かれた文章よりは分かりいいのでいい。『アングラ機関説』はまだ全然読んでない。腐った湯から上がり、敷きっぱなしの布団でネットにつないで日記を打つ。べつに面白いことも思いついてないこんなときこそ、積極的に何か書いておくとあとで嫌な気分が味わえるというものだ。嫌な気分になっちまえ。