油断したら、
いや油断しなくても
気づいたら余白や行間に囲まれている。
そして余白はわれわれの無意味を
意味ありげにみせる額縁の役目を果たし
行間は鏡のようにやつら自身の顔を
反映して隙間という隙間はいつも
やつらの大好きなやつら自身の顔でみたされる。
だから死が好まれるのだ。
死んだ人は余白に完全包囲されて動かないので
もう安全だから。
やつらが行間にまどろんだところで
行がとつぜん動き出して轢きつぶされる
心配がないから。
死人に口無し。
だが人が死ぬとその人の残した言葉はすべて
呪いに変わることを
忘れてはいけない。
余白は蜃気楼が行く手を誤らせる砂漠に
行間は出口のみあたらない迷路に変わる。
そして言葉は人間が生きながらポロポロと
こぼしつづけていくバラバラ死体の部品だから
あらゆる言葉の書き手は局部的に死んでいる。
つまりだ。
その余白は呪われている。
その行間には幽霊が出る。
いっけん何もないかにみえる場所の危険について
人はもう少し敏感になるべきではないか。