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怖れ
改札口がわめきたてないよう猿ぐつわをかませる。駅に人格がないことを誰も知らないために。
団地の話
団地の果ては海に接している。そのことは噂で聞いたが、どの果てかまでは知らなかった。このたびわかったのは「すべての果てが」ということだ。
つまり海は団地を包囲している。あるいは違うのかもしれない。われわれの団地は海が囲んでいるが、その海はまた別の団地に囲まれているかもしれないから。事実そういう説もあってよく晴れた日、海の遠くに壮大な団地の影を見たとの話が、わが団地の果てから聞こえてくる。蜃気楼だと片付ける説もある。根も葉もない噂だとする説もある。すべて証言や意見は回覧板でまわるので、途中、悪意で書き換えられている可能性があった。
月日が事実そのものを変化させることもあるだろう。今朝届いた回覧板の日付は29年前だった。果てにある海はすでに埋め立てられているかもしれない。
交替劇
地下鉄の穴を腫らせた都市が私の意識にめざめ、布団をけとばしてこの部屋の朝焼けの中に立ち上がる。「痒い!」そう叫ぶ、腫れた穴をかきむしりながら。
布団から蹴り出された元の私はそれでは、かわりに都市を務めようかと外に出たが、膨大な通勤客に踏まれてすでに朦朧、一台のバスの通過で息絶えた。
昆虫仕掛
時計に玄関があると知ったので、明け方まで見張ると歯車がぞろぞろ転がり出てきた。大小さまざまのが賑やかに、人並みのあいさつを交わすとまちまちの方向へ姿を消してしまう。私は冷蔵庫の裏へ回ろうとした一枚を摘み上げてどやしつけた。
「時計はどうする!」
歯車は指のあいだで真っ青になり「代わりのが居りまして」と釈明した。
蓋を外すと時計の中は、いかにも、代役のカナブンやコガネムシがぎちぎちに詰めこまれている。ひどく不器用に歯車の動作を真似ていたので、なるほどこの隙に時計は遅れるのか、と納得した。