fiction

とかげ 階段の下に知らぬまに彼が部屋を築いている。彼とは若い女である。女とはその国で無作法な物乞いを意味する動詞である。したがって今読まれている文章は、動詞が誤って名詞に訳された無残なものだが、描かれている彼にそれを知るてだてはない。部屋は…

自由行動 これなの、と彼女は彼にそれを差し出した。何これ? と彼。これはね、こうして着るの。たちまち彼女は裸になった。それが二つあるうちの、一つに彼女自身が潜り込む。ほらね、わかるでしょ。ああ、なるほど着ぐるみかい。そう、着ぐるみ。うなずき…

沈滞物件じょうほう 壁に塗りこまれて一ヶ月後に掘り出された人がバイト先に復職してきた。その人(千葉さん)は社員だからいろいろ保証とかもあって別にうらやましくないけど、待遇としては手厚いわけだ。もちろん腐ってて触ると書類が汚れるから自発的に手…

帽子 あなたが私のヒモでいたあいだ、私は赤い帽子の似合う犬を飼っていた。犬に似合う帽子はあまり多く存在しない。あなたがそれを見つけてきたことが、あなたを少しのあいだ私のヒモにしたのかもしれない。犬が嫌いで、まるで殺されそうな目で見ていたあな…

線を歩く この世界を二つに分かつ境界線と彼が信じているものは実際には、彼の足もとを半径1メートルのところで囲んでいる小さな円にすぎない。 彼と、彼以外という一対一。たしかに世界は真っ二つに割られているのである。 境界線にぐるり囲まれた男はつね…

うすい道 人間は、人間でいるあいだだけ人語を話すのだ。 それはほんの数十年ほどのできごとにすぎない。 残り数百年間は、印刷物の余白みたいな顔で沈黙をまもる。 さらに外側にひろがる数千年は異常にさわがしいとりとめがない工場のようだ。 もちろんここ…

事情通 この世に居る場所がなく、彼女は歴史に残るしかなかった。 対角線 二段ベッドのすべての二段目でねむられる眠りがつながると、夢はどこまで歩いても尽きないほどだらしなく領地を広げてしまう。目ざめるたび異なる二段ベッドの二段目に、驚いたことに…

若者たちへの伝言 屋上が踊り場の役目をはたしている建物の十三階で、私は今朝からひとりで暮らし始めている。踊り場は上空にうかぶ観音様のかたちをした屠場にいたる階段の中途にあって、だから窓の外を斜めに横切っている鉄製の階段には毎日牛を引いて博労…

お馬鹿さん 女の子しかできない仕事をぼくがすることになった。「あなたならきっとやれると私は信じてるのよ」階段の踊り場でやさしく肩を叩かれたとき、上司の指先から花のようないい匂いがただよってきた。にわかにぼんやりする頭でぼくは、思わずこの仕事…

多幸感はたそがれの色 そんなに悪い感じの事故じゃなかった。わたしは真っ赤な夕焼けが真っ黒になるところを、帽子のふちの下からこわごわ見てた。でもそんなにひどい「真っ黒」じゃないと思った。これなら頭の悪い男にビール瓶でぶたれた時よりずっとまし。…

歴史の最後のほうのできごと 古い自動販売機で、消費期限を五年過ぎたコーラを買うのは私じゃなくソノちゃんだ。 電気の通ってない自販機から、ジュースをいくらでも手に入れるすごい技術がソノちゃんにはある。 私はというとゴムボートを骨の折れた日傘で漕…

真冬の乗り物 ぼくは先を急いでいた。目の前にならぶ橇のうちどちらに乗り込むべきか? 時間はもうあまりなかった。サイレンはすでに隣町まで追いつき恐竜のように唸りを振り撒いている。ぼくにはサイレンに顔があるようにその表情をありありと思い浮かべる…

買い物ブギ パパにもママにも知られずサイボーグ手術は無事完了。全身が映せる鏡に風呂上りの私がプラスチックのボディを公開してる。頑丈でたとえばタンクローリーに撥ねられた程度じゃ傷ひとつつかない、この愛しいボディ。もちろん今日一くんにだって手術…

弱虫の惑星 花嫁から下水道へざーざー血が流れていくところをぼくは目をかがやかせて録音してる。 ぼくの目のかがやきは心がからっぽになってる証拠だから勘違いしてドキドキしないで。 勘違いしてざーざー血が流れ込む先にすてきな国が待ってるだなんてまさ…

持ち物 あなたはあなたという人形を生まれたとき手に入れたのだから、捨てることもできる。

噂は値札のように ふわふわした鳥の羽根が集まった真赤な首巻きを、君は血を吐くみたいに背中を丸めてテーブルに置いたのだ。テーブルには他に金色の(でもAuの微塵も含まれない)腕時計や丸まった靴下なんかが無造作に載っていて、腕時計と靴下のあいだに…

ハロワカホリク 002

きみとなら穴でつながる俺なのさ 「時給は一万円です。あまりに少なすぎますかね?」 採用担当者が不安そうに眉をひそめて私の目を覗きこもうとした。 「本来なら二万円は貰いたいところだが…」私は咳払いをひとつ挟んでから話を続けた。相手の目は見ないの…

village 山の斜面につぎつぎとあたらしく廃屋が建てられていく。 日本各地からかき集められた廃材(あばら家を解体したもの)を組み立てたいずれも人の住めない腐りかけたボロボロの家ばかりが。廃村という設定のオープンセットは、あり余る予算を湯水のよう…

ハロワカホリク 001

足りないのは勇気だけじゃない きみはどことなく売女に似てる。うしろ姿ならジャングル・ジムにも見えるけど。きみのむこうに覗いてしまうこの国の現実が、埃っぽいクラクションまみれの道と道をかさねた×(ばってん)まみれでいる訳を、きみの口からぼくが…

霧の坂道はくちぶえの中 バス停として道端に置かれているのは等身大の若い男の姿をしたマネキン人形である。停留所の名前はマネキンにつけられた名前(モデルになった人物から何の迷いもなく譲り受けられたもの)がそのまま使われているのでバス停らしくない…

不潔な女からの手紙 運ばれていくあいだ、口の中で自分が何ごとか呟くのを感じていた。内容はまるで聞き取れなかった。内容などなかったのかもしれない。内容のあることを喋っている意識などなかった。頭はからっぽで頭蓋の壁のひびわれから星の浮かぶ黒い空…

顔 耳をすませると、耳をすませる音だけがきこえる。誰もいないのではない。耳をすませる者だけしかいないのだ。踏切越しに見合わされる、名のない顔の群れのように。 ナイフ 夜に寝室にいる。窓ががたがた震えるほど闇が押しつけている。ガラスに映る髪の毛…

廃人の仕事 片足をひきずりながら歩く女には意識がなく、ひきずられているほうの足だけが今では女に残された唯一のものである。あとのすべては天上からふりそそぐ見えない糸の操作が女の意志を肩代わりしている。 女は時間をかけてたどりついた玩具売場のレ…

排水口 煙草のヤニで汚れたスクリーンが、演技や特殊メイクではない本当に殺害されたばかりの若い男を淡々と映し出している。そのとき私は直前に駆け込んだトイレで、ひとりで用を足していた。トイレの蛍光灯は切れ掛かっており、頭上で点滅するせいで私の前…

ボール 新宿行きのブランコが人身事故で朝から止まっている。家の中では肌寒いくらいだが、庭に出ると日なたは袖をまくって丁度いい暖かさなので私は、玄関の鍵をかけ忘れたまま散歩に出かけた。公園に行きたいと思ったのだ。坂の途中にある公園は坂道と同じ…

河原 犬が犬の眼で迷路の入口を見すえている。脱がれていくシャツのように裏返りながら犬の頭に吸い込まれていく通路が、いわば迷路の外側に属する空間ごと(巻き込みながら)畜生の世界に移築される件について。私はとくに何も考えたりそれ以前に気づくこと…

ドールハウスの工員 たいていの天井に頭をこすりつけてしまう、まれに見る大男であるあいつの唯一の趣味は人形遊びなのだ。老若男女、容姿や素性のさまざまな人形があいつの古ぼけたおもちゃ箱に詰め込まれているが、中でもお気に入りは外科医のボビーという…

潜水夫 私には手の届かないものが、お前のふところに転がり込む。目を丸くして、大声をあげて、大げさな身振りでお前はそれを見せにくるだろう。きいちごのジャムで汚れた皿にひとすじの髪の毛。壁に掛けられた潜水服を、私はそこにいる誰かのように眺める。…

クイズマスター復活 解答者席にならんだ顔はどれも青白く生気がなかった。今週の第一問目が読み上げられても、誰ひとりボタンを押さないどころか身じろぎすらしないので、初老の司会者はとまどいと苛立ちの混じった目でスタッフに何かを訴えかけている。 四…

電話 恋人を寝取られた女がテレビを消したことも忘れ、放心した顔のうつっている画面を眺めている。何時間も同じ姿勢で。 画面の中で電話が鳴ったので、テレビにうつっている女が立ち上がって受話器を取った。 「はい。いいえ違います」 聞いたこともないへ…