ハロワカホリク 002

きみとなら穴でつながる俺なのさ

「時給は一万円です。あまりに少なすぎますかね?」
 採用担当者が不安そうに眉をひそめて私の目を覗きこもうとした。
「本来なら二万円は貰いたいところだが…」私は咳払いをひとつ挟んでから話を続けた。相手の目は見ないのだ。相手か私のどちらかの気が狂っていた場合、狂っていない方の目に狂いが水のように流れることもあるからだ。「無理は言いたくないんでね。そちらさんの事情もあるでしょうから、私は構いませんよ」
 担当者の顔がお湯で戻されて緩んだ笑顔になるのを私はじっと窓に映して観察した。
 翌日。私は代々木公園の日なたにあるベンチに腰掛けて居眠りの中にいる。
 目を覚ますと、たった今まで見ていた夢の内容をさっそくノートにメモを取る。これが今日一日の私に与えられた任務である。メモを終えると次の公園(日比谷公園)に移動してまたベンチに腰掛ける。移動には直通道路が敷かれており、そのために街には昨日まではなかったはずの穴があいていることを私しか知らない。迷い込んだ人が行方不明になるのも私の責任なのだ。


(首から上が犬の巫女さんたちが横断歩道を渡っている。ふつうに日本語で会話してる。だが声は犬の声だ。横断歩道はとても長いので途中に休憩用の布団が敷いてある。巫女さんの一人が布団に入る。ほかの者たちはおしゃべりしながら先へ進んでいく。布団から犬の顔だけが飛び出ている。そろそろ信号が変るのでは? そう心配になって布団をじろじろ見ていると、犬が目をあけてワン、と吠えられた。私は恐ろしくなって駆け出す。はるか遠くで点滅する歩行者用信号が見える。間にあわない。私はなぜか地面にひきずるほど長い髪をしていた。はげしいクラクションに晒されて棒立ちになった私の髪が、わき腹をこするように走り抜けたバスの車輪にからみつく。ひきずられる! 覚悟して目をつぶると、バスの走る速度と同じスピードで髪が伸びている。横断歩道に突っ立っている私。床屋を探さなくてはなるまい。)


 昼休みのサラリーマンに占領されてベンチがないとき、私は近所を散歩して時間を潰す。
 これからビルの屋上にのぼり、柵を越えることしか頭にない人の歩き方はすぐにわかる。私はそんな人の後をつけた。首にプレートをさげた人々を玄関から吐き出したり吸い込んだりしているビルの中へ、男は歩いていった。私は中に入らず、建物の前の歩道に立っている。通行人たちが屋上の不審な人影に気づき、人だかりができはじめるずっと前から私はそこに立っていた。街路樹に背中をもたせ、逆光で表情の分からない屋上の小さな人影を見上げる。
 そろそろ昼休みの終る時刻だ。だが退屈な日常を揺るがす珍事に気を取られ、労働者たちは仕事へ戻る気配がない。ますます膨れ上がっていく人垣をかき分け、私は突然狭い路地に入り込んでいった。人目につかない場所で私は鉛色の吐瀉物を地面にまき散らした。くずれ落ちた膝にそれがズボンの中まで滲みていくのをさんざんな気分で、空にせり上がる朝日のように認識してゆく。朝日を浴びた私の巨大な横顔が仏像のように、この世界のどこかに聳え立っている。その場所にたどり着ける通路はどこにもない。