噂は値札のように

 ふわふわした鳥の羽根が集まった真赤な首巻きを、君は血を吐くみたいに背中を丸めてテーブルに置いたのだ。テーブルには他に金色の(でもAuの微塵も含まれない)腕時計や丸まった靴下なんかが無造作に載っていて、腕時計と靴下のあいだにはホールの八分の七が欠けたケーキ。脱ぎ捨てられたドレスみたいに溶けて垂れ下がる蝋燭が二本。ああ、時間がとまっているのがよくわかるね? 楽しみだったパーティーの時間は、とうに止まってぼくらだけそこから零れ出して朝陽の下に今はいる。それぞれに、ずいぶんだらしなくなってしまった姿で。
 ゆうべ、窓に額を寄せればまだ星座がたしかめられた時分、君の扮装といえば「命の危ない夜更けの界隈で、ひときわ殺されそうにしている商売女」と君自身明かしたテーマにふさわしい効果を、十分発揮していたといえるだろう。友だちのある者はあからさまに嫌悪の表情を打ち出し、ある者は頬を染めて俯いたきりだったのだ。「馬鹿な女。下着じゃないの?」なんて耳うちしてくる酒臭い息にぼくは軽蔑の微笑を無言でくれてやり、それから君を取り囲みつつある目敏い一団の端に加わったのだ。
 もちろん連中にしたって、ただ君を極端に警戒したり倫理的に拒まないばかりで、相応に下衆なやからであるのはいうまでもない。当人の耳に入らない距離をたしかめたうえで、あんなお姉さんのいる子はさすがちがうね、なんて見当違いの賞賛をしたり顔で口にしていた者がいる。もちろん君に姉さんなどいないこと、夕暮れに操車場近くの切り通しを並んで下る姿をよく見かけられる、あの真っ赤な首巻きの似合う女性が君のママだということをぼくは知っている。何しろぼくは二人のあいだに右上がりのグラフのように腰掛けて、日曜の車窓に水平線を眺めたことさえ何度もあったのだから。
 あれから何年もが経ち、かつてぼくに眩しく予感させたとおりの人に君はなったのかもしれない。手鏡の憂いから切り抜いてきた微笑を手放さなくなった君と、交せる言葉は日ごとに減っていったのだ。ゆうべは誰かの肩越しに「おめでとう」を云うのがせいぜいだった始末の、この残酷な距離がまた、朝陽に撫でられたまぶたの裏では痛感される!
 目をあけば散らかった皿のひとつひとつが視線の通り道に敷きつめられ、その先にとぐろを巻いた真っ赤な首巻きの傍らに君はとうにいはしない。額縁のように口をあけた戸口のひとつで、眠たそうに肩を抱かれている君を見つけるのは難しくないのだ。ママみたいに絶対、なりたくないのと呪文みたいに唱えつづけた子供が、あんな衣装の誰より(ママ以上に)ふさわしい人になりつつあるこの発見はそう古いものじゃない。海のきわに太陽が滲み出しつつある時分、寝息をかさねる母子に挟まれながらまるでぼくはこの家の子供みたいだな、と照れ臭くてまた寝たふりにもどった、あの各駅停車の床のゆるやかな傾きのこともぼくはこんなにすっかり憶えている。目に浮かぶのだ。