若者たちへの伝言

 屋上が踊り場の役目をはたしている建物の十三階で、私は今朝からひとりで暮らし始めている。踊り場は上空にうかぶ観音様のかたちをした屠場にいたる階段の中途にあって、だから窓の外を斜めに横切っている鉄製の階段には毎日牛を引いて博労たちがのぼっていくたくさんの姿がみられるのだ。人と牛の輪郭が朝日を浴びてこの部屋の床に影を落とすとき、この部屋の住人は頭上の空で微笑みに似た無表情を浮かべる観音様のことをつねに思い出してきただろう。私は踊り場のことも屠場のことも引っ越しが済むまで気づかなくて、観音様は変った形の飛行船、外の階段は非常階段くらいに思っていたのだ。
 テレビのスイッチを入れると再放送のドラマが、ちょうどエンドロールを断ち切られた唐突な印象で終ったところで、こけし型の新発売のおやつのCMが始まっている。このおやつは放っておくと髪の毛が勝手に伸び、夜中に家の中を歩き回るのだという。私はなんとなく興味を持ち、画面の隅に表示されている購入ボタンを軽い気持ちで押した。すると「お客様には現在この商品はお取り扱いできません」という表示が画面いっぱいに浮かび、クイズに不正解したときのように「ブー」というブザー音が響きわたる。
 この引越しですべての貯金を使い果たし、足りない分は年老いた親に借り、しかも私が十年間も無職であることがテレビの向こうには筒抜けなのか? 私は買えないことが分かった途端そのおやつがたまらなく欲しくなり、近所のスーパーマーケットに万引きしに行くことにした。道を歩いているあいだ、スーパーには私服の警備員が巡回している可能性があることに気づいたので、私はターゲットを非力な老婆が一人で店番している駄菓子屋に切り替えた。住宅地の一番奥の崖に面した道路にその店はあった。老婆はいつも、悪知恵の働く小学生たちによる万引きを警戒して店頭で目を光らせているので、私のような中年男性が来店すれば油断するだろう。信号のない国道をまるで障害物レースのように息を切らせて渡りきり、住宅地のあるエリアに到達。そこから振りかえると私の暮らすビルは巨大な橋桁のようだ。私は道路を渡りきれずに轢かれた様々な動物の一部を靴の底から剥がし取る。私は私の生活に恐怖を抱くことはないし、だからと言って温泉のような多幸感に包まれているわけでもなかった。私の見ている一寸先はつねに闇であるが、何も見えないから、もしそこを光で照らせば凄くいいものが目に入ってくるのでは? とささやかに期待して生きていくことができる。恐ろしいのはすべてが昼の日差しの中で白々とあかるみに出されることなのだ。そのときすべての希望が失われ、私たちは笑いながら線路に飛び込んでいくだろう。
 駄菓子屋は定休日でシャッターが下りていた。だが考えてみればテレビでCMを打たれているような新製品が、こんな崖っぷちにある駄菓子屋に並べられているはずがなかった。私は言葉にならない声を口から発しながらこぶしでシャッターをがんがん殴りつけた。となりの家の全身が黒い番犬が火のついたように吠え始める。