自由行動

 これなの、と彼女は彼にそれを差し出した。何これ? と彼。これはね、こうして着るの。たちまち彼女は裸になった。それが二つあるうちの、一つに彼女自身が潜り込む。ほらね、わかるでしょ。ああ、なるほど着ぐるみかい。そう、着ぐるみ。うなずきながら彼女は、残りの、大きいほうを手渡した。ぼくも着るのかい? と困惑顔の彼。当たり前でしょう、という目で見返す彼女。まばたきが瞬間、ちかちかと会話する。
 しかたなしに彼はつきあった。腕をのばす穴や、首を突っ込むべき穴がなかなか見あたらず、着ぐるみの中でしばらく七転八倒。やっとのこと収まるべき位置に収まると、狭い覗き穴から彼女が見えた。彼女は牙のある顎の隙間で、器用に煙草をふかしてる。着れた? と彼女。どうにかね。と彼。満足気にほほえみながら、彼女は煙草を壁に押しつけて消した。これはね、と自身をその太い着ぐるみの指で示す。セックスのできる着ぐるみなの。
 ぽかん、という泡のはじけた顔で彼は恋人を見つめた。川の向こうの博士の発明よ、と彼女は胸をそらせた。ご覧なさい、と動物の胸や腰の辺りにある、特別なしかけを次々に披露する。ほらこんなのも。こっちはどう? しかけのいくつかは、恋人も思わず目を逸らすほど、大胆で扇情的だった。おまけにひとつ残らず、合理的で、実用的だった。すごいな、ぼくらのしてること、何だってできるんじゃない? そうよ。何でもできるの。あなたも試して。
 見よう見まねで彼も、怖ろしいけもの(額にみごとなツノが生えていたのだ)の体をよじらせてみた。すると思いがけないところがポン、と開いたので彼は赤面する。慌ててしゃがみ込み、その部分を元に戻しながら彼は、もう一匹のけものを眩しげに見上げた。最初はよくあることだわ。でもすぐに慣れてうまくいくから、と彼女は慰めた。あれ、出かけるつもり? 決まってるじゃない、と彼女。わたしたちこんないいものの中にいるのよ? まさかこの格好で? もちろんでしょ。心配なら、博士がくれた説明書があるわ。私は読んでないけど。
 二人は玄関にむかった。履ける靴はないね、と彼が笑う。当然ないわよ、動物なんだから! あのね、今から私たち動物なのよ。素直にうなずく彼に、彼女は付け足す。いいこと? ここからは自由行動だから。好きなようにしてね。ただし私のあとは、ついてこないで。けものの口の奥にある、人間の男の口から、なんとも心細い叫びが漏れた。もちろん彼女は聞いちゃいない。牙の格子の奥で瞳が、きらきらと輝いている。私はあっち行くんだから、あっち以外にしてね。さようなら。幸運を祈るわ!
 玄関のドアを蹴飛ばせば、そこはまだ真夜中の町。えものたちのカラフルな匂いが、ビル風にまじって吹き荒れる時間なのだ。