タテ、ヨコ、てのひら

人間の視界は横に広い(目が横に並んでる)ので、横書きの文章は縦書きより多くの文字を同時に目に入れることができるわけです。つまり横書きのほうがずっと効率よく読めるはずなんだけど、なぜか日本語では縦書きが標準なんですね。
そのことと、日本で短詩型文学が盛んであることはおそらく無関係ではない。横長の視界と縦にのびる文字列の交差点で、文字と読者がいちいち出会っては別れる縦書きという環境がなければ短歌や俳句は成立しないと思う。横書きでは一瞬で読み飛ばす文字数の中に、ある凝縮されたものを読みとるためには縦書きが生みだす抵抗感が必要なわけです。


横書き標準のネットにあるテキストが本になると、縦書きに組み直されることも多いわけですが、当然印象はずいぶん変わりますね。このたび発売された『てのひら怪談』(加門七海福澤徹三東雅夫編)もそういう本のひとつで、怪談大賞のブログで横書き公開されていた百話が紙面に縦書きに印字されている。
横長のスリットから覗き見る世界(=人間の視界)を上下に通過していく文字列は、一文字一文字が孤独につっ立っているようであり、また全体の見通しも悪いために不安を誘うわけです。次の一語が、水平方向に広がる私の視界の外、垂直方向から飛び込んでくるその環境は、この世の外からしのびこむ影たちの物語を読むにふさわしい。『てのひら怪談』を手にしてみると短歌や俳句だけでなく、怪談もやはり縦書きで読まれるべきであり、その意味できわめて日本的な文学ジャンルかもしれないと気づいたわけですが、普通の本とくらべて縦長な版型もここに収められたテキストの「縦書き感」に寄り添い、それを体現しているように見えます。
すべての話が見開き二ページに収まることも、ページを横断して文章が横へと伸びる流れを寸断し、ここにあるのが縦方向の世界であることを強調している。


縦書きの文章を読む、という日本語のテキスト環境でごくありふれた経験に潜在する不安感、孤独感のようなものが息を吹き返すのが、怪談的な文章を読んだときなのだと思いますね。縦書きの文章はそもそも心細く恐ろしいものであったことを、怪談を読むことでさかのぼって気づくという逆転がある。怪談という幽霊屋敷を抜け出した先に真に怖ろしい空間が茫漠とひろがっているような、逃げ場のない経験が日本語の世界にはどうやらあるらしい。
ネット上に横たえられていた怪談が、縦書きへとかかえ起こされることでそのような“日本語そのものの恐怖”の世界に参入する。単にテキストデータが印刷で固定されたというだけでなく、『てのひら怪談』という本にはそんなひそかな意味もあるわけです。こうしたことまで考えさせてくれる存在感ある本に仕上がったのは、収録作の書き手のひとりとして嬉しいかぎりです。

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