妄想について

妄想を妄想だけで維持できるひとというのはあまり多くなく、たいていは現実の材料を組み立てたり借りてきたりして妄想はつくられ維持されるわけです。だから妄想するひとはそのひとなりに客観的なチェックをしているという自信もある。ところが他人の目によるチェックからはそれが紛れもない妄想に見える。
その理由のひとつは妄想は妄想特有の型のようなものを持っているからで、たとえば陰謀論というものがそうです。自分や自分の支持するものが不当に扱われている、しかるべき正しい評価を受けていない、という不満な気持ちにさいなまれたとき、人はそれを単なる不運とか、評価しないやつらが馬鹿だとか、もしかして本当に評価に値しないのかなとかは考えず、本来与えられるべき(と彼が考える)評価の大きさに見合うだけの(つまりそれほどのものを世界のオモテから消し去るだけの巨大な)悪意とか、自分らに敵対する意志が存在するのだ、と思ってしまう。
そういう心の働きをじつに人間はしがちであり、しがちな心の働きの型のようなものを他人の言動に見て取った時、人はそれを妄想だと判断するのです。自分でチェックするのはけっこう難しい。