インテリを遠く離れて

私は馬鹿だが、正直、馬鹿で残念である。
馬鹿じゃなければ、私は学者とか評論家になりたかった。本来私はインテリ志向なのだ。でも学生の頃に自分は馬鹿だとわかったので、あきらめたのだ。
デブじゃないから力士になれない、女じゃないからレースクイーンになれない。よくあることだ。
でも若い時から馬鹿でおっさんになって来ると、馬鹿なおっさんというのは案外悪くないと感じるようになった。
かしこいおっさんは、かしこい若者や、かしこくないけど生意気な若者などと張り合ったりして結構しんどそうだ。いくらかしこいとはいえおっさんだから、体力とか物覚えがだんだん衰えてきてる。でも今さら馬鹿のふりもできないから、追い落とそうとする若者や加齢と必死にたたかっているのである。
その点馬鹿なおっさんは気楽なものだ。張り合うことを最初から諦めてるので、ただ若者の敬老精神にあまえて席をゆずってもらったり、わかんないことがあれば遠慮なく若者に聞けばいい。かしこい若者はかしこいおっさんのことは敵視するが、馬鹿なおっさんは眼中にないからハトに餌やるみたいに気軽になんでもおしえてくれる。ありがたいことだ。
馬鹿のおっさん、の対極にいるのがかしこい若者である。
かしこい若者はつらいと思う。いいかえると、かしこい人は若い時がじつは一番しんどいのではないかと思う。
かしこい人は若者の特権というべきルサンチマンをそうそうに取り上げられてしまう。
インテリの二軍みたいなルサンチマン・リーグには、インテリになりたかった夢を捨てきれないおっさんと、自分の馬鹿さを若さのせいにしたい若者でごった返している。そこでくりひろげられるなまぬるいインテリ戦争ごっこを素通りして、若いみそらでいきなり本物のインテリ戦線にデビューするのが、かしこい若者だ。
たまたまかしこく生まれたばっかりに、そんな過酷な目にあうのである。
そう思うと自分は馬鹿な若者で、インテリになれなかったけど今はもうそういう負い目も消えて馬鹿なおっさんとしてむずかしい本とかも読まなくていいし、寝首をかかれるんじゃとうなされることもなく思う存分昼寝もできて、べつに負け惜しみとかはなくてほんとによかったと思う。
そしてかしこい若者はおっさんの老獪ないじわるや、馬鹿な若者たちのねたみの声に負けずさわやかにがんばってほしい、と馬鹿なおっさんは蔭ながら応援している。