県境を越える

解約したプロバイダにモデム返却のため、県境を越えてゆうパックを出しにいった。ゆうパックは窓口に持ち込むと百円安くなり、同一の県から送るとさらに百円安くなるのでそうした。最初はやたらいろんなものを無料にして歓迎ムードを高めておいて、やめると告げると途端に送料お客様負担に手のひらを返す。これが資本主義の化けの皮だろ、と変な蠅が顔の周りをとびまわる。帰りに電気屋に寄ろうと駅のむこう側の道を歩いていると、小柄な女があっちをむいて歩道に立っていた。さかんに誰かに向けて身ぶりをしているようなのだが、動くたびローライズの下半身からちらちら覗くのがどうも肌の色っぽい。よく見ると割れ目が見えてて完全に生けつがはみケツしていた。しかし年齢とか、微妙な服装とか挙動が謎な感じなのでそのケツはエロなのかどうか判断しかねる。判断つかぬまま女を追い越すと、前方から笑顔の黒人が身ぶりで応えながらこっちに歩いてきたので、女の挙動の不審度は低下した。少なくとも相手はいた。
話は変わるが、今日はさんまを焼いて食べた。私は最近急に焼き魚を食うようになった。一人暮らしをしてもう十五年くらいたつが、魚を焼いたことは数えるほどしかない。量の割りに高いし日持ちしない、骨が鬱陶しいなどが理由だったと思う。しかしこのところ魚が妙に旨くて時々焼いて食う。あと最近私は独り言を言うようになった。以前はまったくといっていいほど言わなかったのだが。これらは加齢による変化なのだろうか。独り言のメリットは、自分が今何をしてるのかということを指差し確認のように意識化できるところだ。すべてが頭の中で行なわれてると、物事の輪郭があいまいになり、なんとなくみんな入り混じって灰色によどんでゆく。だから時々声を出してみると、少なくとも自分は本当にここにいるのだとわかる。脳内からつま先くらいは外にはみ出る。
今日は図書館、郵便局、電気屋とまわり、百円ショップで買い物をしたあとズボンのチャックがずっと開きっぱなしだったことに気づいた。だがべつに恥ずかしくはなかった。「チャックの開いてる自分」と「チャックの開いてない自分」の厳密だったはずの境界がだいぶ揺らいでる気がする。人は二十年くらいで急速に組み立てられ、そのあとはゆっくりと静かに壊れていくのであろう。