090530

展覧会はまだ始まっていないから、私は象に乗ることにした。階段があって矢印のついた看板が手すりに取り付けてある。「←アフリカ象」と黄色いペンキの文字。私は踏むたびにきしむ板を順番に踏んでのぼっていった。景色がひらけて林のむこうに町が見えた。町には鉄道も来ており、このあたりとは賑わいがまるで違うようだ。子供の手を離れた風船まで競って雲をめざす。だがあっちには象がいないだろう。階段は途中で曲がっていて先が見通せなかった。だから私の乗る象がどんなに大きなものかまだ想像することしかできない。町を背にすると、今度は海原とぽつんと帽子を浮かべたような島が視界を占めた。水面に航跡がみえるが船はみあたらない。水平線を越えたのだろうか、それとも港に帰ったあとかもしれない。展覧会はすでに始まっている時刻で、私はそろそろ引き返すことにする。林のむこうで町はひと足早くたそがれていた。町の子のとばせた風船のひとつが、階段の手すりに絡み付いてあばれている。私はひもをほどいて風船を空に返した。階段は少し先で急にとぎれていた。そこから下がなかった。立ち止まると体は規則正しい揺れをはっきりと感じ、私は思う。ここはもう象の背中で、象はどこかに向けて歩き出しているらしいと。錆びた手すりにしがみつき、狭い階段に腰を下ろすとなじみのあるあの雄叫びが風に乗ってかすかに耳に届いた。水平線に長い鼻が影の滝のようにそそり立っている。願わくば、象が美しい絵を踏み潰しませんように。それからもし私の友人を踏むことがあっても、軽い怪我でありますように。私は私の知らない土地の神に祈る。