耳には心があり、口にある心とそれが重なっているように見える。でも耳から入ってきたものが口から出ていくことはない。鳥の声を聞いてそれを真似ることは、心が一つである証拠にはならない。となりあう心が震えてみせただけでも、それほど似ていないその声の説明に十分だった。私は何か長くなりそうな川だなと橋をわたりながら思い、ひきかえすと、大きな自転車が流されてくるところだった。それは人間が乗るにはサイズが大きすぎ、最初の自転車はこんな大きさだったのかもしれない。豊富な水量で押し流されてくるペダルがからからと鳴り、肋骨の隙間をいつも流れている風と音楽を音量だけが下げていて、水かさは上がり続けていて、自転車から落ちた生き物はここまでは運ばれてこないのである。魚の中にもかしこくて死を怖れるものがいる。私がここだ、と思った駅はからっぽで折り畳まれた芋蔓のほかを子供が食べている、その心に蠅に囲まれた先生が来ていて、顔をふちどる川の光の上流。いつも滝になっているつま先の、たった一本たれさがっている鎖に下から結んでいく小さい花。旅のせいで心が出ていってしまったシャツを思いどおりに体の中でかわかしていった。