少しずつ運ばれる袋

 今日、雨の降る中をたくさんの荷物とともに移動していくホームレスの男を見た。
 男は東京都指定の半透明ゴミ袋に十個分くらいの荷物を所有していた。当然いちどに全部は持てないので、傘をさしてないほうの片手でひとつずつ持ち上げて運んでいくのだが、いきなり最終目的地まで運ぶということを男はしない。荷物1を8メートルくらい移動すると、元の場所まで戻ってきて今度は荷物2を同じように8メートル移動させる。そうして最後の荷物10を手に取ると、荷物1から9までが置いてある場所を通り越して、そこからさらに8メートル先の(つまり目的地にさらに8メートル近いであろう)場所に荷物10を運んでいって置く。
 つまり地点AからBへひとつずつ荷物を運び、最後のひとつはBを通り越してその先の地点Cまで運ぶ。そして今度はBにある荷物をひとつずつCに移してゆき、最後のひとつはCを通り越して地点Dまで運ぶ。
 このくりかえしで8メートルずつ半透明ゴミ袋の荷物の群れと男は、市ヶ谷駅にほど近い雨の路上をどこかへ向かって進んでいた。男のやりかたは一度に持ち切れない荷物をつねに自分の目の届く距離に置いたまま移動する、という目的から選ばれたもののようでもあるし、あるいは最終的な移動先を決めかねたままひとまず歩き出してしまい、荷物の群れの8メートルの間隔を行ったり来たりしながらどこへ行くか思案しているようにも見えた。
 いずれにしても(荷物から目を離さないようにしているとしても、または目的地を留保したままの移動であるとしても、両方であるとしても)男の移動のしかたは小説を書くのと同じやりかたであると思った。小説はこの市ヶ谷のホームレスの男の、たくさんの荷物とともの移動方法と同じように書かれなければいけない。
 言葉はひとつずつ、8メートルずつ運ぶのだということ。
 その8メートルの距離を書き手は何度も(言葉の数だけ)往復するのだということ。
 ただし最後のひとつだけは、さらに8メートル先まで運ぶこと。これによって小説の動きが8メートルごとに休止してしまうことが防がれる。小説は永久運動を手に入れる。
 つまり小説の言葉は16メートルのささやかな飛躍と、8メートルの律儀な反復によって成り立つ。
 最終的な目的地は、ぼんやりした方向くらいが意識されていればいい。目的地があらかじめ特定されていると、言葉をいきなりそこまで置きにいってしまいたくなる。すると上記のような運動は成立しなくなる。だから目的地は見えなくていい。
 ひとまず必要なものは半透明ゴミ袋に収められた十個ほどの荷物だけである。