『クビツリハイスクール』について付け足し

 この小説は頭のいい中学生が背伸びして書いたような文章で(たとえば中原昌也は「頭の悪い中学生が背伸びして書いたような文章」であるところに批評性が宿る)、ピントのぼけた映像を威勢よく見せられているような痛さともどかしさがつきまとうのだけど、ピンぼけでありながら小説の実質がそれでもちゃんと支えられているという感じは何となくして、だから単にいわゆる語彙の豊かさや措辞のたくみさをここへ持ち込むのがいいことだとは言い切れないような、でもこのままでいいとも全然思えないような、中途半端な気分になる。
〈キャラクター小説〉的な感触にはかなりそそられるものがあって、前に佐藤友哉の『フリッカー式』を読んだときよりそれはずっと強かったけど、気恥ずかしい要素もたくさんあって読んでて何かと居心地のわるい気分にもなるし、好きとも嫌いとも言い切れないところが悩ましく、いろんなことを考えてしまう小説だった。