『現代短歌 そのこころみ』つづき

結局『短パラ』『短プロ』に関しては書評的に内容に寄り添って書かれていたので、それらの本がここに取り上げられている意味、みたいなものをあまり強く意識させられなかったようだ。あとこの本の後半は前半のエッセイ的な抑え気味のトーンから徐々に変化し、語り口がノンフィクションぽい熱を少々帯びてくるので、その中にあって『短パラ』『短プロ』あるいは穂村弘に言及したあたりの割と前半に近いトーンは埋もれて目立たないということもあるかも知れない。つまり本来なら現在進行中ともいえる事態に対して、何を取り上げて何を取り上げなかったかというだけでも書き手の批評的立ち位置がむき出しにされるところを、たとえば朝日新聞の投歌欄などを具体的に批判する文章の熱気などに隠れて、そうした微妙な問題には目がいきにくくなっていたということだ。