ダリアから歯と蝿

 事故現場からの中継にあいつは贋の雨として降りそそいだ。つまり茶の間にふさわしくない路上の肉片や血だまりを残らず洗い流したのはあいつの功績だが、誇り高いその微笑に漏れなくモザイクが掛かり視聴者の好奇心をいたずらに刺激する結果となったのは計算外だ。雨に首があり事故現場で微笑むということを知識に持つ視聴者はとても少ない。モザイクの掛かった部分には死体か陰部のいずれかしかないと信じる奴らが茶の間を占拠して自らの、あるいは親子や兄弟で互いの下着に指を入れあってもう片方の手でチャンネルを変え続けるのが21世紀まで続くおなじみの光景だ。そこを受信機入りの三毛猫として優雅に横ぎっていった小型撮影クルーが猫の一生分の映像を撮りためた末に、突然の轢死によって闇に葬られた映像集が今夜ネットオークションに「ダリアから歯と蝿」のタイトルで瞬間的に出回る不鮮明なVTRの正体だが、轢かれた猫の回収は定職のない男が望んで受けたがる例の手術によってコントロールされ秘密裡に行われるので、まだ拾われてない映像のほうにもっと凄いのが灰になってるはずだという噂が絶えないために映像の価値はつねに不安定に揺れ続け、とびまわる蝿が頭の外にいるのだと理解するのに俺は一生の何倍も費やしたけれど結局駄目で白いセンターラインがゆるやかに風で流れる雲のように椅子の下をいくつもいくつもくぐり抜けていくのを見た。