冥王星までタクシー

 毎朝起床後三十分もあれば完全無欠な美しさを手に入れることができる君にさえ、深々とああいう種類の穴のあいてる恐怖についてぼくはいくらでも語れるだろう。
(近くで見ると目玉は充血して皮をむいた葡萄のようだね)
 ではごきげんよう。いいえさようなら。それよりもっと、お別れを。だけどもっとずっと遠くまで離れてしまいたいから、冥王星よりもっと。思い出そうにも昨日がどっちか暗くてまるで見えない。こんなところまで君をはるばる捨てにくる計画だった。墓地裏で盗んだタクシーかっ飛ばせ。ニセの運転手として。
 君はまんまと騙されてしまい、ぼくとは一切気づかないだろう。
 何しろぼくらは生まれてからひと言も交わしたことがないし、あだ名もたがいの髪の色も知らないのだから。

真夜中に一文無しは

 ノックの音で目ざめた。私の部屋は横たわると頭と手足が壁につかえる狭さである上に、玄関のドアがたったひとつの部屋にじかについているのでブザーがない。ノックの音だけで十分目が覚めてしまうのだ。
「毎度どうも。集金屋です」
 声を出すとき首が伸び縮みするので人間じゃないことが分かる男(のかたちをしたもの)が言った。
「先月分の時計代をいただきに来ました」
 先月もたしかに遅れも進みもせず時計は動き続けたし、ぼくは一日に何度も文字盤を見て時間を確かめたのだから時計代を払う義務があるのだろう。
 けれど残念なことにうちには彼に渡せる金がまったくない。その旨告げるとぼくは集金屋に「とにかく部屋の時計は全部持っていってくれ。金のかわりにというわけではないが」
 すると彼は困惑した表情をみせた。
「この場合、集金の対象になるのは先月の時計なのでして…」
 集金屋はぼくの手渡した目覚ましをもてあますように何度も両手で持ち直した。
「先月も同じ時計だったよ」とぼくは言った。
「いえ」集金屋は首を振る。「今はもう今月ですから。今月の時計ですね」
 いろいろと難しい話なんだな、とぼくは思いながら黙ってしまった。とにかくこの紳士的な集金屋のかたちをした人間以外のものは、本当はこんなふうにぼくを怒鳴りつけたいのだろう。「銭が払えないなら先月おまえが時計から読み取った時間という時間をすべて返せ!」
 もちろん返せやしないさ!
 ぼくは心の中で叫ぶと集金屋のくるくる回る小さな観覧車みたいな両耳に唾を吐きかけたい気持ちでこう静かに呟いた。
「明日また来てくれないかな。まだ割れてない皿やカップがあるから売りにいけば、少しはこれがつくれるかもしれない」
 ひとさし指と親指でちいさな円をつくった。