ある交通網

 どうにもなんないけど、寝るよ。そう云って彼は眠りに落ちた。
 八時間後に演奏されるアラームは、星のまたたきを秒針でかきまぜた響きをしている。半死人を叩き起こすにはもう少し耳に刺々しさが欲しい。これではいっそうぐっすり寝入ってしまい、昼と夜をもう一周してしまいかねないのだ。
 けれど彼女には彼をゆり起こすつもりはまるでなかった。
 あたらしい病気が地球のどこかで発明され、われわれの都市に輸入されるまであと何日かかるのだろう。月も火星も今では高すぎる通行料金さえ払えば誰でもドライブで行ける。どんな悲しい思い出に取りつかれた子供でも、ふてぶてしく煙草に火をつけるくらいの歳月がたてば、どこへでも着くことができる。旅に必要なガソリンさえあればいい。
 すべての家の玄関が屋上にある社会。事故車が屋根のうえに降りそそぐ毎日。
 思う存分眠っては、値札シールをはがされるみたいに瞼をあけて、目覚めるとちがう布団の中にいる。私という誰かの人生に肩から割り込んでいる私。いつか耐えがたい人格になって帰ってくる母親のことを、彼女は最後まで思い出せないだろうか。ひえきった毛布の下に、手のひらに載せたタクシーだけを待たせている。