「あの雲をよく見て」と妹が言った。「パパのしかめっ面に似てると思わない?」
 窓に夕陽が当たり、目の中にオレンジ色の光が吸い込まれてくる。
ハンバーガーはいつからこんな値段なんだい?」ぼくは訊ねた。「釣銭を見てびっくりしたよ」
「さあね。ほら、顔がだんだんくずれてきちゃう。ねえちゃんと見てよ」
 それから五分後。妹は不機嫌そうに指先でストローをいじくっていた。
「本当にパパそっくりだったのに。あんなの二度とないことなのに」
 ぼくはハンバーガーから抜き取ったピクルスを紙ナプキンにならべた。「好きじゃないんだよな、これ」
「パパが甘やかしたのよ」と妹が言った。「ぶん殴ってでも、好き嫌いを無くさせるべきだったわ。そのほうが実際は子供のためなんだから」
 ふん、ふん、とぼくはうなずいた。うなずきながらピクルス抜きハンバーガーを齧る。
 隣りのテーブルで、小さな女の子が声に出して絵本を読んでいた。
 内容は子供が読むには全然ふさわしくないもので、耳を覆いたくなるような単語が何度も耳に届く。
 夕陽が定休日のショッピングセンターの屋根に身を隠した。
「あれっ」
 ぼくは立ち上がって店内を見回した。
「ここはマクドナルドじゃないか。いつからマクドナルドにいるんだい?」
 まわりの客がけわしい顔でこちらを見ていた。カウンターから店員が身を乗り出している。
 隣りのテーブルの女の子が、絵本を読むのを中断して不思議そうにぼくの顔を見上げた。

夜警

 日本の跡地いっぱいに迷路が建造された。もとからある建物はそのまま維持されたが、隣家の玄関先に立つのさえ最短距離で(つまり迷う時間を考慮せず)一週間以上かかる場合もある。雲を突いてそびえる壁一枚へだてて、すぐそこに暮らすはずの人はもはや隣人ではないのだ。距離と時間についてまったくべつの考え方が要求された。
 私は夜警として迷路のある一点から歩き始める。壁に挟まれて前後にひろがる空間が垣根に突き当たればよじのぼり、民家で阻まれていれば合鍵でドアをあけて裏の窓から出た。私は勤務時間中ひたすら歩き続け、終るとその場所で次の勤務時間が来るのを待った。下手に動くと元の位置に戻れなくなる心配があるからだ。
 私はゆうべの担当者がひと晩かけて歩いた道を今夜ゆく。私がゆうべ歩いた道は今夜はべつな担当者が歩くだろう。一定の間隔を置いてわれわれは夜警の旅を続ける。それは建前あるいは理想であり、事実は、私のあとに従うはずの者がどこかで堂々巡りに捕まっているかもしれない。前方を行くはずの者がそれと知らず私に追い抜かれているかもしれない。だとすれば私が彼に替わり、誰かが彼に替わるだけだ。私もまた誰かにたやすく替わられることができる。私は自分以外の夜警に会ったことはないが、先行者も後続者も、さらにその先や後ろに延々とつづく夜警の列の、どの顔も私に似ていることを知っている。
 私たちは夜警以外の何にも似ていないのだ。そして夜警は必ず、どのみち、入口の出口のあいだを歩いている。