活字

 ユリイカを138ページまで読んだ。吉田アミ氏と未映子氏の書かれたものが読むのにわりかし苦痛(とは痛みでなくここではたわみに近いもの)をともなったのだけど、読んだことにいちばん嬉しさのあった文章で苦痛はそれに必要なものだと思えたところに、活字を読んでいるという気がした。私は今活字が読みたいのだと思う。
 座談会は、オタクVSサブカルでとくに好きだった文章の書き手が二人参加していたが、期待とはやや異なる印象で読み終えてしまったのはそこで語られている文化と私が、意外なほど縁遠く生きてきている(ことだけがよくわかった)ことと、それが座談会であり書かれた言葉ではないからなのだろうかと思う。しかも座談会というのはそこで場を踏みつけにして突出してやろうとする悪だくみが紛れ込まないかぎり、各々のおもしろさが平均化にむかいやすいところがインタビューや対談と違うのかもしれない。