ぬけがら

 買ったわけでもないのに、いつのまにか家の中に増えているボールペン。使いもしないのに無駄にたくさんあって、時には蛍光ペンシャム双生児になってたり、横っ腹に会社名などが印字されてたりする、さまざまな安っぽいボールペンたち。
 ふと今日ボールペンで字を書く必要に迫られ一本を手に取ると、線がかすれて紙にはただペン先のボールの轍だけが残った。べつなのを使ってみるとやはり線がかすれてうまく書けない。
 そこでペンたてに突っ込まれてるのを片っ端から引き抜いて試し書きしてみたところ、いずれもボールの跡を紙に残すばかりでひとつ残らず書けなくなっていることがわかったのだ。
 私はどこに来てしまったのだろう。家にボールペンが増え始めたときからかぞえて、いったい何年後の世界に今私はいるのだろうか。急に現実に引き戻されたような気がして、すると今まで現実だったはずのものは何だったのか、いつから現実じゃなかったのか。私は少し寒気がした。何しろ「うちにはたくさんボールペンがある」と私が意識した日から、今日までに過ぎた時間のいつかの時点で、ボールペンは増えることをやめてしまっていた。あとはひたすら中のインクを乾燥させることだけに年月を費やしていたのだ。
 私はそんなことにまるで気づかずにいた。誰も私にボールペンをくれなくなっているのを知らなかったし、書かずに放ってあるボールペンにも寿命があることだって気づかなかった。うちにはいつだってボールペンは腐るほどある。そうとばかり思い込んでいて、たしかにそれはある時点では正しい現実だったのだが、私の見ていた現実はそこから書き換えられることがなかった。
 電車は前に進んでいくのに、始発駅のホームで見た時計がさしている時刻が私の時刻のままだったのだ。