閉園後の世界

 実家から歩いて二十分ほどの距離にかつて横浜ドリームランドという遊園地があり、数年前に閉園したのち今では跡地の一部が公園になっている。公園部分が完成してから初めてこの正月に足を運んでみたのだが、遊園地時代にそこにあった巨大観覧車などのアトラクションが片付けられてみるとそこはもうただの新品の公園でしかなく、たぶん閉園前の二十年間は足を踏み入れずじまいだった遊園地の敷地でどこに何があったのか、という記憶が現在によみがえる手がかりはとくにない。ドリームランド跡地を囲んでそびえる高層団地のどれかから、去年作家の見沢知廉氏が飛び降りたらしいということについてはそこにいるあいだべつに思い出したり、空想してみたりしなかった。
 公園の端まで歩くと柵があってその先はまだ工事がつづいている地帯で、同行した母親の話ではあとここには墓地と野球場がつくられる予定だというが、土がむきだしに掘り返されている土地があってそこがたぶん野球場になるのだろう。かつてジャングル探検船が機械仕掛けの土人たちの視線を浴びたり猛獣の攻撃をかわしたりしながら航行した沼、の生まれ変わった姿なのかもしれない池に橋が架かったものが別方向の柵の向こうに見えて、それがたぶん死者の世界へ渡る三途の川の橋なんだろうと思った。墓地は地上部分はわずかで大半は地下納骨堂になるのだと母親は言うが噂で聞いたのだろうからあてにはならない。野球場がつくられるのだろうむきだしの地面の先には、来春に開校する大学のやたら立派な構えの正門ができあがっていてこの大学の敷地に遊園地時代「ホテルエンパイア」という五重塔が高層ビル化したような異様なホテルだった建物が残されており、異様さを緩和して白く化粧直しされていたものの建物にエンパイヤ時代の面影はいまだ濃厚である。
 大学の寮になるのだと親は言っていたがネットで調べると本部・図書館棟になるのが正しいようで、地元老人の噂はきっとホテルの客室がそのまま寮に転用されると踏んだのだろう。